2017/02
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世界の中の日本・日本人を考えてみる

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日本語教育に携わっていると、どうしても世界・国際社会における日本および日本人を改めて考えざるをえないと思います。ここに挙げた文章がそうした問題を考えるヒントになれば幸いです。

①「多文化共存」について考える

 

アメリカ合衆国へのテロ事件以来、自分がイスラム世界についての知識にいかに疎いか今更ながら気付いた人も多いと思います。私もその一人ですが、先日ふと思い出したことがあります。

 

日本での集まりで、イランで日本語を教えている日本人と食事をしていたときのことです。彼女が突然「あっ…」と小さく叫び青ざめたのです。何事かと思ったら、彼女は自分の頭に手をやり、「スカーフを忘れた」と言うのです。その狼狽のし方はただ事ではない。やがて、ここが日本だということに気付いて、見る見るうちに頬に血の気が戻り、安堵の表情を浮かべたのでした。

 

イスラム世界では女性は人前では少なくともスカーフを被っていなければならないというようなことは、私も何となく知ってはいたのですが、イランに住みイスラムの慣習が身に付いた彼女にとっては、たぶん私が想像する以上の重大なことだったのでしょう。

 

人間が生み出す生活文化や慣習は国や地域が違っても共通部分の方が多いのだろうが、自分の知っている世界と異質の部分を知ることによって、人は人間という存在の奥の深さに驚き、自分の世界観・価値観の修正や補完ができるのではないだろうか。文化(言語は最大の文化である)に「世界標準」はない。どんな辺境の文化にもそれ自体が自律的な世界を創っていて、掛け替えがない。一旦失えば永遠に回復できない。

 

アメリカへのテロを生んだ「憎悪」は、異質な文化への「無知と偏見」に向けられた「悲痛な絶叫」ではないのか。時代の中心勢力から見て、仮にその文化に欠陥が見えても文化自体の自律性への敬意が不可欠ではないのか。「異質な文化を互いに認めて対等な共存を探る」、この至極まっとうな道を、私たちは進む以外にないのではないだろうか。

 

 

①日本人はなぜ電車の中でネタフリをするのか?

 

 二年ぶりで日本に帰ってきた。一年帰ってこなければ、日本という国はフッと様変わりする。二年前は沖縄の石垣島を基点に札幌まで縦断してみた。このときは石垣から札幌まで「サプリメント」という言葉が流行っていて、日本全国どこでもこの言葉で何かを売り込んでいることが察知できた。今回はどんな言葉が流行っているのか興味深かった。

 

バルセロナで日本語屋をやっている私は、日本に来る口実に、日本での泊り込みの日本語研修に参加した。

 さて、日本に来ていつも変わらず興味深いこともある。それは電車の中での日本人の様子である。日本人はどうして電車の中でほとんどみんな居眠りをしているのだろうか?いや、本当に居眠りをしている人は寧ろ珍しく、実はほとんどは寝たふりをしているのだが。

 

私の日本語の学生が日本を訪れたあと、必ずといっていいほど「日本人はどうして電車の中で眠っているのか」と訊く。そう言えば、スペインでは電車の中で寝ている人は滅多に見ない。そんなことをすれば、まずスリに狙われることは目に見えている。目をつぶることさえ用心しなければならない。

 

だが、日本人が電車の中でネタフリをするのは、盗難の少ない安全な国であるという以外に理由があるようだ。それは、他人と関わりたくない、という気持ちがネタフリ行動を起こさせているのではないか、とも思える。目を開けて座席に座っていて自分の前に人が来て立てば、自分の今ある楽珍に座っている状況が変わるかもしれない。老人が来れば席を譲ることも考えなければならない。仮に「どうぞ」と言っても意固地な老人ならば面倒な遣り取りをしなければならない。そんなことに遭遇したくない、と思うのである。

 

要するに、現代の日本人には「他者と関わりたくない」という意識があるのではないか、ということである。いや、もっと言えば「他者とどう関われば良いか分からない」という問題なのかもしれない。仮にこの現象を名付けるとすると、さしずめ「人間関係神経症」というところだろうか。

 

狭い電車の中で後ろから無言で人を掻き分けてくる人もいる。降り口へ進もうとしているのであるが、そうであれば「すみません」の一言がなぜ言えないのだろうか?と率直に思う。

 

現代日本人は言葉を極端に惜しむ。「ありがとう」「すみません」の一言がなかなか口から出ない。それは、なぜだろうか?日本人は言葉を伝達の手段として有効とは確信できないのかもしれない。「言外の意味」「言霊」「行間を読む」など、日本には言葉に対する特別な思い入れがある。言葉によって他者との関係を築き、他者との関係に起こる問題を解決しようとする確信が持てないからなのだろうか。

 


よく言われるように、日本人には「内と外」の意識が深く根付いているようである。自分にとって「内」と見た人には胸の奥まで曝け出し、また相手にも曝け出させる。しかし、「外」と見た人には顔さえ向けない。スペインでは同じエレベータに居合わせた場合、たとえ見知らぬ人であっても挨拶をするのが普通である。

偶然宿泊が同じホテルであった場合も又同じである。日本人は同じ空間に居合わせても見知らぬ人には、まず挨拶しない。その場合、こちらから挨拶しても、不思議そうな顔をして押し黙り、そそくさとその場を去って行くことが多いように思われる。

 

日本人が自己表出に長けているとは言えない現実があるなら、国際的な視野に立って学校現場でも社会においてもコミュニケーション訓練を本気でやることが、つまらない誤解を避ける手立てではないのだろうか。

 

③ヨーロッパの風

 私がスペインに居住する前、日本の知人が「ヨーロッパでは欧州連合(EU)が出来、欧州の単一通貨(今ではユーロとして周知されているが)が計画されているらしいが、そんなことは可能なのだろうか?」と話し、私もそのような通貨が実現するのには半信半疑だった。だが、今の国際社会を見れば、夢物語のような印象を持たれていた「ヨーロッパ共同体の単一通貨ユーロ」はまさに、米ドルを追い抜く勢いの安定した信頼される基軸通貨になったではないか。
 

 

ヨーロッパの統合については長い間、悲観的な推測が多かった。現在のような欧州連合が現実のものになるとは、寧ろ不可能だと思われていた。ところが、今では世界で最大の規模を誇る魅力的な市場が実現している。

 EUが目指すのは決してアメリカ合衆国のような連合体ではない。アメリカ合衆国と決定的に異なるのは、域内で使用されている言語が多様であること、それぞれの加盟国の伝統的文化的独自性が存在していることが大きい。EUは将来的にもこの道を堅持し、多種多様な地域的、文化的特色を保持しつつも、それぞれの国境には縛られない自由な感覚、より大きいヨーロッパの一員であるであるゆとりのようなものが生まれるだろう。

 

現在
EUでは「欧州憲法条約」(欧州のための憲法を制定する条約)の発効を目指している。27の加盟国のうち、これまでにドイツ、スペイン、イタリアなど10カ国が批准している。しかし、20055月フランスで行なわれた国民投票で過半数の有権者が批准に反対した。また、その年6月にはオランダで行なわれた国民投票でも否決された。

この「欧州憲法条約」は、ヨーロッパにおける経済統合のみならず、更なる政治的統合を発展させるものである。オランダでの否決の事情はこうである。欧州憲法が発効すれば、より人口の多い大国がより大きな権利を享受し、オランダなどの人口中小国は不利を蒙る、と言うわけである。一方、フランスでの批准否決には別の事情がある。
EUの更なる統合が進めば、自分たちの雇用がおびやかされる、とフランス人は考えたのである。

 

EU加盟を実現するためには、その国がEUの定める基準に合致するようにその政治的習慣を調整し変えることが求められる。たとえば、EUでは死刑制度廃止することが絶対的に求められる。EUに加盟したいという目標は、1980年代のギリシャ、ポルトガル、スペインなどの国々の近代化を決定付けた。また、将来EUに加盟することになる、という見通しは、スロバキアやハンガリーなどの国々の民主化を容易にした。ヨーロッパの国々は欧州連合の魅力を認めざるを得ないのである。

 

EUのパワーは法則化されている。このEUというクラブに加盟するためには、34巻、合計8万ページにも及ぶ、人権から、少数民族の保護、果てはソーセージやチョコレートの成分に至るまでを規定した膨大な法律を採択しなければならない。そしてこの法律体系がヨーロッパ共同体の一員としての自覚を持たせることになるのである。

バチカン半島の国々やトルコなどが
EUの加盟国として受け入れられるような基準に達するために、その国の政府の在り方を完全に変えているじ事例を見れば、EUの持つ魅力の程が知れるはずである。

 

この欧州連合
EUの思想の根底には「過去に自分たちが犯した過ちを二度と繰り返してはならない」という思いがある。1950年代以前のヨーロッパには「自分たちこそ人類の進歩のモデルである」という自負があった。そしてそれをそれぞれの植民地にも押し付けようとした。その結果、どうなったか。ヨーロッパ人は、この考えが根本的に誤りであったことを思い知らされたのである。

 

したがって、今日、
EUを推進しようとする人々には、異質なものを尊重し、法を尊び、人権を守るという厳然たる規範が確立されている。アメリカ合衆国のように予防戦争に乗り出すことなど、認める余地はないのである。

 

ところで、
EUは日本にすこぶる似ている。それはテクノクラート(すなわち、高度な専門知識によって政策立案に参画し、その実施に関与する官僚)による統治が、政治的ガバナンスを凌ぐ、という点においてである。そして、現在のEUも日本も、政治責任をどこがとるか、という責任所在が存在していない。

 

 

現代日本社会は本物か偽物かを重要視しない。偽物でも、それが自分にとって都合が良く便利であれば、それを評価する。逆に言えば、本物だろうが、それが自分にとって都合が悪く不便であれば、評価しない。評価の基準は、また、それが世間に人気のあるものかどうか、が重要になる。

 

 現代では日本人の老いも若きも好んで使う「英語もどき語」いわゆる「カタカナ語」の濫用は国際社会から見ても実に見っとも無い。

 一般の日本人が「英語もどき語」を濫用するばかりでなく、日本語を専門とする日本語教育界で使われる用語もカタカナ語だらけである。



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