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スペイン人は人間(じんかん)距離が、日本人には、ドギマギするほど短い。例えば私の生徒が私に話しかけるときは、ほとんど息が掛かるぐらいまで近づいて来る。ちょっと動くと顔が接触するのではないか、と思うくらいの距離である。男女年齢を問わず、である。
人と人が話す距離は言語文化に拠るのだろうか?前から気になっていたテーマを皆さんにも考えて頂こうと思って、トピックとしました。
マドリードでスペイン内の日本語教師が集まった際、椅子を直径7~8メートルほどの円形に並べて座って、それぞれの教育現場の報告等をしたのですが、ほとんど皆さん「ボソボソ」と「抑揚のない」発声で、話をしていました(マイク無し)。ごく近くの人以外はよく聞えないはずですが、誰も「もっと大きな声で話してください」などとは発言しません。何となく言っている内容が想像できればいいからです。話す本人も何となく想像して聞いている他の人たちも、申し合わせたように小刻みに頷く、あの「日本人の会話」です。
私が驚いたのは、スペイン人日本語教師が日本語で話すときも、まったく他の日本人をコピーしたように、「ボソボソ」と「抑揚のない」話し方をしていたことです。思わず、う~ん、と唸りました。あの明確かつ押しの強い発声・話し方をする習慣のあるスペイン人が、日本語を話すときは、がらっと変わってしまうのです。
「ボソボソ」と「抑揚のない」話し方で、はっきり発音しない日本人なのに、離す距離はスペイン人と比べても他のヨーロッパ人と比べても、家族や恋人同士を除けば、厳然とした一定の距離を保って話す。これはやはり文化的背景がそうさせているのだろうか。例えば障子一枚隔てて部屋割りをせざるを得ない日本の家屋事情があるのかもしれないが、それにしても会議のときぐらいはもっとはっきり話せばいいのに、とも思うのです。
実際にスペイン人や他のヨーロッパの人々と付き合ってみて、それまで日本で抱いていた欧州人へのイメージがガラっと変わりました。彼らの社会の基本は「親近感」(simpatia)と「連帯」(solidaridad)で、とにかく人と人との身体的距離が近い、のです。日本に居た時はなぜか、欧州人は個人主義で冷たいというイメージを何となく持っていたような気がします。相対的に米国人はプライバシーの領域を守り、他人との身体的距離が大きい感じがします。
日本では「欧米」と言いますが、どうも一緒にしてはまずい気がします。
②どこを見て話すか?-
「相手の目を見て話せ」とよく言いますが、日本人同士の場合、
現実的にどうもそうはなっていないのではないか、と推測してい
ます。
私は、日本語の学生たち(主にスペイン人)と話すときは、だい
たい目を見て話しているつもりですが、それでも(とくに同性に)
あまり真っ直ぐな目でジッと見つめられると、思わず視線を外し
てしまいます(^_^;)。
私が日本の高校で生徒たちに面接指導をしたときは、「面接官
のネクタイの結び目あたりを見て話すように」と言ったものです
が、今はこういう点も国際化して変わってきているかもしれません
ね。
欧米では相手の目を見ないで話すことは、単に礼儀に欠ける、
というよりも、話している人の人格までも疑われるレベルのものの
ように感じられますが、日本人に日本語で話すとき、相手のどこ
を見て話すのがいいのでしょうかね。実態とご意見を頂戴できた
らと思っています。
③「お元気ですか」はどんな時言うのか?
私は初級クラスの初日に挨拶表現を教えます。
私のところで日本語を勉強している学生は主にスペイン人です
が、彼らは挨拶表現を覚えて、次の授業からそれを使って教室
に入って来ます。
イレネさんが「こんにちは。おげんきですか」と私に挨拶します。
初めは彼らが日本語を使うことに意義があるので、細かいことは
言わないで私も挨拶を返します。「げんきです。イレネさん
は?」。イレネさんは満足げに答えます「 げんきです」。ほうって
おくと、この挨拶のやりとりが授業で会う毎にずっと続きます。
そこで、私はある日、こう言います。「<おげんきですか?>はし
ばらくぶりに会うときに使う表現で、毎日は言いません」。するとイ
レネさんは「それでは、毎日会うときは何と言うんですか?」と怪
訝(けげん)そうに訊きます。「毎日会うときの挨拶表現は<こん
にちは>だけでいいのです」と私が言うと、イレネさんはどうして
も物足りないという顔をします。スペイン語では会う度に必ず「お
元気ですか?」「元気です。あなたは」を言うからです。
しかし、ひょっとして最近の日本では欧米式の挨拶表現が影響
して「お元気ですか?」「元気です。あなたは」と言うようになって
きているかもしれないと、ふと思ったものですから、皆さんに「お
元気ですか?」はどんな時に使うか確認したくなりました。
また、この表現を日本語の学生にはどのように教えていますか?
④スペイン語とカタルーニャ語
スペインの学校教育では、カタルーニャ語とスペイン語と両方が教えられています。スペイン語は中央(スペイン)政府の意向で、カタルーニャ語は州政府の意向で授業を確保しているわけです。一般の授業で使う言語は教師によって違うそうですが、今日ではカタルーニャ語の勢いが顕著のようです。
カタルーニャ語の書籍は、地元の書店ではスペイン語の書籍に劣らず目につきます。代表的なカタルーニャの新聞(一般紙)は一紙がカタルーニャ語のみ、一紙がスペイン語のみ、他の一紙が両言語の版を出しています。
バルセロナで見られるテレビ放送(衛星放送を除いて)では3局がカタルーニャ語のみ、3局がスペイン語のみ、他の2局が番組によって両言語を使い分けています。
私の日本語の学生に招かれてガリシア地方に行った時、その学生の父親が「ガリシア語はポルトガル語より古い」と胸を張っていましたが、ポルトガルの独立(12世紀)の前から存在していたのでこう言ったのだと思います。
バスク語はスペイン語とは系統の違う言語(非インド・ヨーロッパ語)で、この言語もカタルーニャ語に負けず劣らず復活しつつあるようです。数年前、バスク語が話されているナバラ州にあるハビエルJavier城(日本に来た宣教師サンフランシスコ・ザビエルXavierゆかりの城)を尋ねた際、地元の人に聞いたのですが、バスクの子供たちは(神が罰として悪魔に7年間勉強させた、ほど難解だと言われる)バスク語とスペイン語というまったく異なる2言語を、生活語として習得しているそうです。
日本では英語産業が幅をきかせているようですが、多言語多文化の社会を見据えているスペイン社会に居ると、自分の母語についてしっかり学ぶという基本的なことが、今日の日本ではおろそかにされているような気がしてなりません。
⑤英語教育と日本語教育
先日、スペインの新聞「EL PERIODICO」を読んでいたら、次のような記事が目を惹いたのでメモを取っておきました。
*
2月27日発行のアメリカの雑誌「SCIENCE」によると、「2050年にはスペイン語はその話者数で英語を凌駕する」(英語学者David Graddol)そうです。Graddol氏が言うには、現在世界でもっとも話者数が多いのは中国語で約「11億3千万人」、続いて、英語が約「3億7千2百万人」、ヒンズー語が約「3億1千6百万人」、スペイン語が約「3億4百万人」だが、話者数の伸び率で言うと、2050年までにスペイン語は6%増で、英語は現在の9%増から5%に減るだろう、との見通しを述べています。
つまり、この2世紀に渡って世界の言語をリードしてきた英語の時代は近い将来に終わる、ということを、英語学者自らが認めていることになります。
すでに米国の第一外国語となっているスペイン語の繁殖力は凄まじく、2050年と言わず、ひょっとするとあと20年足らずで、Graddol氏の予想は達成されそうな感じもします。
そうなると、日本の政治家たちは、今度は「英語はもう時代遅れだ」と言って「スペイン語第二公用語」論でも唱えるのだろうか?
一方、アメリカ合衆国では市民社会におけるスペイン語の目覚しい浸透が問題になっていて、英語を正式に公用語にしようという焦りさえもあるようです(アメリカ合衆国には正式には公用語が無い、ということです)。
それほどスペイン語は強い繁殖力があり、たくましい生命力があるのです。
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