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”迷惑”の受け身「親に死なれる」を考えてみる

195 440pc日本語独特の迷惑の受け身を検証してみる

「迷惑の受身」の一検証 
       

(*本考察を引用や活用される方は本サイトに御一報下さい)

                                              天野 修治


(1)はじめに

 

 日本語には「迷惑の受身」或いは「被害の受身」と言われているものがある。

例えば、

1.我々は雨に「降られて」野球ができなかった。

の<雨に降られる>である。これは、「降る」が受身形になって「降られる」となると、「雨に降られる」ことによる「影響の受け手」(ここでは「我々」)に迷惑・被害が及ぶから、ということである。

 

 本考察では、次の「手順」で考察を進め、後に掲げる「目的」に向かう。

【手順】:

           自動詞の受身文はすべて「迷惑の受身」になるか、を検証する。

           他動詞も含む「間接受身」はすべて「迷惑の受身」になるか、を検証する。

           「完全不可抗力の受身」の存在を確認する。

 

【目的】:従来の「迷惑の受身」説の矛盾点を分析し、より本質的な「不可抗力」性に着眼し、日本語の受身文には「完全不可抗力の受身」とも言うべき種類の受身文が存在することを示し、これこそが従来の「迷惑の受身」の名称の元に想定されていたものであることを指摘する。

 

(2)自動詞の受身文

 

さて、自動詞の受身には

1.我々は雨に「降られて」野球ができなかった。

2.私は友達に「来られて」勉強できなかった。

3.私は赤ん坊に「泣かれて」眠れなかった。

4.私は父に「死なれて」悲嘆に暮れた。

などの例が挙げられる。

 上記の文例のうち、4の「父に死なれる」ことが「迷惑」と言うのはそぐわない。だが、4は「迷惑の受身」と言われている受身文の代表的な文例である。まず、ここで「迷惑の受身」という名称に疑義がある。

では「被害の受身」なら良いか?

次の例を見てみよう。

5.私はちょっと外の風に「吹かれて」来よう。[注1]

6.私は彼女に「微笑まれて」嬉しかった。

7.私は彼女に「甘えられて」満更でもなかった。

8.私は子供たちに「憧れられる」選手になりたい。

一般的には、上の「吹く」「ほほえむ」「甘える」「あこがれる」は全て自動詞とされている。例外が幾つもあるのでは、「自動詞の受身文=迷惑・被害の受身」とは言い切れない。

 

(2)間接受身

久野暲の説明(1983『新日本文法研究』p193~219)によれば、「間接受身」とは概ね次のようなことである。

9.田中は山田「に」夕食に「呼ばれた」。

には<山田は田中「を」夕食に呼んだ。>と「受身文全体に対応する能動文」があるが、

10.太郎は花子「に」小説を「書かれた」.

には「受身文全体に対応する能動文」がない。この全体能動文は<花子は小説「を」書いた>ではなく、<花子は【太郎「を」】小説を書いた>(非文)ともならない。

また、

11.田中は泥棒に財布を「盗まれた」。

は他動詞の「間接受身」で、この能動文は<泥棒は財布を盗んだ>ではなく「受身文全体に対応する能動文」がないが、<泥棒は【田中「の」】財布を盗んだ>と解釈ででき、「持主の受身」とも言われる。

 

ここで注意しなければならないのは、動詞そのものの意味が「影響の受け手」に「迷惑・被害」を与える文では「間接受身=迷惑の受身」かどうかの検証に正確さを欠く、ということである。

動詞の意味が「迷惑・被害」の意味を持たない「間接受身」文を次に示す。

12.田中は社長に才能を「買われた」。

これは能動文にすると「影響の受け手」<田中は>が取り除かれた能動文<社長は才能を買った>となり、文例11と同じ構造を持つが、「迷惑・被害の受身」とは言えない。

これ以外にも、例えば、

13       田中は社長に努力を「評価された」。

14       田中は社長に言動を「信用されて」いる。

15       田中は社長に人柄を「好まれた」。

などの例も「迷惑・被害の受身」とは言えない。例外が幾つも指摘され得るのは、いわゆる「間接受身」が必ず「迷惑・被害の受身」になるとは言えないことを証明している。

 

(3)「不可抗力の受身」

 

今一度「迷惑・被害の受身」と言われてきた種類の文例を、上に挙げた例から、「影響の受け手」にとって[不都合]か≪好都合≫かを問わず、下に列挙する。(最初から挙げた文例のうち9を除く全て)

 

1.我々は雨に「降られて」野球ができなかった。[不都合]

2.私は友達に「来られて」勉強できなかった。[不都合]

3.私は赤ん坊に「泣かれて」眠れなかった。[不都合]

4.私は父に「死なれて」悲嘆に暮れた。[不都合]

5.私はちょっと外の風に「吹かれて」来よう。≪好都合≫

6.私は彼女に「微笑まれて」嬉しかった。≪好都合≫

7.私は彼女に「甘えられて」満更でもなかった。≪好都合≫

8.私は子供たちに「憧れられる」選手になりたい。≪好都合≫

10.太郎は花子に小説を「書かれた」。[不都合]

11.田中は泥棒に財布を「盗まれた」。[不都合]

12.田中は社長に才能を「買われた」。≪好都合≫

13.田中は社長に努力を「評価された」。≪好都合≫

14.田中は社長に言動を「信用されて」いる。≪好都合≫

15.田中は社長に人柄を「好まれた」。≪好都合≫

文意からも明らかなように、これらの構造を持つ受身文はもはや一律には「迷惑・被害の受身」とは言えない。では、これらの受身文に共通する性質の核は何だろうか。

その核は「不可抗力性」である。即ち、

           そうされること或いはそうなることへの抵抗ができないまま、されるがまま、なすがままに身を任せてしまう。

           ときには、それは自分にとって不都合な場合もあり、好都合な場合もある。

いずれにしても、自分のちっぽけな力ではどうしようもなく、その行為がなされる、或いは、その現象が成る瞬間を迎えるしかない。

 

この「不可抗力性」が上記1~15の文例に共通していることが確認される。以上の観察から、共通の構造を持つこれらの受身を仮に「不可抗力の受身」と名づけておく。

 

 

(4)「完全不可抗力の受身」

 

前掲の1~15の文例を仔細に見ると、文例10の<太郎は花子に小説を「書かれた」>の型は他の文例に比べて「好都合」の意味の文が作りにくいことに気付く。この文は<太郎は花子に小説を書いて欲しくなかったのに書かれてしまった>状況を表している。つまり、「花子が小説を書いた」ことに「太郎」が「不都合」を感じているわけである。

 

こうした状況を表し、かつ、動作・作用の動詞自体に「不都合」の意味が含まれないこと、を条件に、15と構文上同型の文例を挙げてみると、次の16以下のような例が可能である。右の〔 〕内はその影響の結果、主体にとって「好都合」なことが起こり得るかどうかを確認するために、「嬉しかった」と続けてみたものである。

 

10.太郎は花子に小説を「書かれ」た。 〔?太郎は花子に小説を「書かれ」て、嬉しかった。〕

16.太郎は花子に(次郎と)「結婚され」た。 〔?太郎は花子に(次郎と)「結婚され」て、嬉しかった。〕

17.良子は花子に(自分より)「綺麗になられ」た。 〔?良子は花子に(自分より)「綺麗になられ」て、嬉しかった。〕

18.太郎は花子に(課長に)「昇進され」た。 〔?太郎は花子に(課長に)「昇進され」て、嬉しかった。〕

19.太郎は花子に(母親より)「長生きされ」た。 〔?太郎は花子に(母親より)「長生きされ」て、嬉しかった。〕

 

これら全ての文例で、影響の受け手が「嬉しかった」と「好都合」の感情を持つことは、極めて不自然になることが分かる。

 

この型の受身文には次のような性質が見られる。

①「影響の与え手」<花子>にとって「影響の受け手」<太郎>が全く縁の無い第三者であっても、この受身文は成り立つ。

           「影響の与え手」<花子>の行為のベクトルが「影響の受け手」<太郎>に直接向かっていない。

           結果的に「影響の与え手」<花子>の行為が「影響の受け手」<太郎>にとって常に「不都合」と感じられる。

 

つまり、「不都合」は純粋に「太郎」の意識の中にのみ存在する。このように構文的に

も意味的にも完全に「間接受身」と言える受身文を、仮に「完全不可抗力の受身」と名付けておく。「完全不可抗力の受身」は「影響の与え手」の行為のベクトルが「影響の受け手」に直接向かっていないので、「影響の受け手」はその影響に抵抗したり何らかの対処をすることが完全に不可能になり、その結果、常に「不都合」を感じることになる。

 

(5)「完全不可抗力の受身」と「はた迷惑の受身」

 

そもそも「迷惑の受身」の発想はどこからきているか。

三上章は『現代語法序説』(1953。新装版2003)で次のように言及している。

 

≪日本語では自動詞(らしい動詞)も受身になることが早くから知られている。

母親ニ死ナレル  子供ニ泣カレル

の類である。受身の成否による、という動詞分類の重要な標準がなくなり、動詞を自動詞、他動詞に分けることは無意味だと諦めてしまった文法家も二人や三人ではなかった。≫(新装版p100

 

三上がこの問題(のちに「迷惑の受身」となる問題)を取り扱うことになった最初の着眼点は、西洋文法と違って日本語では動詞の自他の区別を受身形が成り立つかどうかにはない、ところにあった。つまり、日本語の動詞の自他の分類をどうするか、という点であった。三上は次のように続ける。

 

≪甲ガ乙ニ丙ヲ紹介シタ

を使う。主格「甲ガ」をablativeの「甲ニ」に変え、動詞を受身の形に変えたものが受身文である。これは日本語の受身文のすべてに当てはまる定義である。「乙ニ」はそのままで差支えないが、「ニ」が重なって紛らわしいから「乙ヘ」に変えて

甲ニ乙ヘ丙ヲ紹介サレタ

とする。主格が消えたから補う必要が起るが、それは話手自身でも飛入り者でもよい。≫

≪己ガ甲ニ乙ヘ丙ヲ紹介サレタ

とする。乙ヘ丙を紹介して少し恩に着せようともくろんでいたのを、甲に出し抜かれて、己がいささかしょげている、といったような心持のセンテンスである。≫

≪説明ずみの方を「はた迷惑の受身」と呼ぶことにする。右のようにして作った受身には嬉しいのは一つもなく、迷惑の感じが伴うものばかりである。私が調べた限りでは、例外なく迷惑である。それも真向から被害を蒙るというのではなく、はたにいる「己」が迷惑するという気持ちのものである。つまり、はた迷惑である。≫

≪いま一つの受身は、前記の「己ガ」の位置をもとのセンテンス中にいた与格乙か対格丙かが占める場合である。自然抜け出したあとが空所になるので、そこを括弧で示しておくと、

乙ガ甲ニ( )丙ヲ紹介サレタ

丙ガ甲ニ乙ヘ( )紹介サレタ

この方は動詞の意味次第で恩恵にも迷惑にもなり、まん中で平気なことも起るが、その迷惑にしても、はた迷惑ではなく、真向からの被害である。だからこちらを「まともな受身」と名づけよう。英文法の受身はまともな受身である。≫(2003新装版p101-104

 

三上の提示した問題はオリジナリティに富んでおり、彼以後の「迷惑の受身」を扱う研究者の拠り処になっている。

しかし、三上は、彼のこの論考の最初に挙げた「自動詞の受身文」については、彼自身の見解をほとんど何も言っていない。ただ<日本語では自動詞(らしい動詞)も受身になることが早くから知られている。>と言っているのみである。従って、彼以後の研究者は「自動詞の受身」=「迷惑の受身」を自明のものと勘違いすることも起きてくる。

また、「自動詞の受身」の文例の後に続けて持論を展開した<己ガ甲ニ乙ヘ丙ヲ紹介サレタ>の型の受身文についても、例えば、

そのままの型で<私が山田に佐藤へ花子を紹介された>なら、彼の論に当てはまるが、それ以外の型、例えば本論で挙げた、

10.太郎は(が)花子に小説を「書かれ」た。

のような型までは言及し得なかった。

三上は「はた迷惑の受身」の構文として<己ガ甲ニ乙ヘ丙ヲ紹介サレタ>を示し、4人もの人物を登場させている。たとえ「丙」が人物でなくても、少なくとも3人の人物が登場しなければならない構文である。私が「完全不可抗力の受身」として提示した文例10は<乙が甲に小説を書かれた>と、登場人物は2人で可能である。

つまり、三上の「はた迷惑の受身」は私が本稿で確認した「完全不可抗力の受身」の一部分を示したに過ぎない。

 

三上が暗示した「はた迷惑の受身」論から何が導き出されるかは、彼の後に続く研究者の仕事である。本稿がその仕事の一端を担えれば幸いである。

 

(6)「完全不可抗力の受身」の文例

 

ここまでの考察の結果を踏まえて、「完全不可抗力の受身」の文例を幾つか挙げてみよう。

20.太郎は花子に花の新種を発見された。

21.甲会社は乙会社にパソコンの新製品を発売された。

22.太郎は通行人に道で立ち止まられた。

23.太郎は自分の家の隣にビルを建てられた。

24.太郎は見知らぬ人に空席に座られた。

 

以上の文例のうちで、22を次のように変えると「不都合」に限らなくなる。

22*太郎は通行人に声を掛けられた。

この22*文例のように<影響の与え手>の行為のベクトルが<影響の受け手>に直接向かっている場合は、必ずしも「不都合」とは限らなくなる。

本稿で考察してきた「完全不可抗力の受身」は<影響の受け手>にとって常に「不都合」を感じる構文であるから、「完全不可抗力の受身」が成り立つためには【<影響の与え手>の行為のベクトルが<影響の受け手>に直接向かわない】ことが必須条件であることは明白である。

 

(7)本考察の結論

 

以上の考察から、次の結論を得ることができる。

 

(一)<父に「死なれた」>の例で確認されたように、「迷惑の受身」という名称は適当とは言えない。

(二)<社長に努力を「評価され」た>の例で確認されたように、「間接受身」がすべて必ずしも「迷惑の受身」とは言えない。

(三)抵抗ができないまま、されるがまま、なすがままに身を任せてしまう、という性格を持つこの種の受身の名称は「不可抗力の受身」が相応しい。

(四)<太郎は花子に小説を「書かれ」た>の例で確認されたように、「影響の与え手の行為」が「影響の受け手」に直接影響を及ぼすベクトルを持っていなく「不都合」は純粋に「影響の受け手」の意識の中にのみ存在する。このような構文的にも意味的にも「間接受身」と言える受身文はその核となる性質から「完全不可抗力の受身」と命名できる。実はこれこそが純粋に「不都合」の意味のみを能動文にはない新しい情報として受身形に託している種類の受身文である、と言えるのである。

(五)本考察の結果確認された「完全不可抗力の受身」は、名称もその内容も不正確だった分類名「迷惑の受身」(或いは「被害の受身」)に替わり得ることを指摘しておく。

 

 

 

[注1]:5.私はちょっと外の風に「吹かれて」来よう。

この文例の「吹く」を他動詞とする見方もあるが、以下の理由で、この文例での「吹く」は自動詞であることを確認する。

 

森田良行は『基礎日本語辞典』(平成元年)で

<風が私を吹く→私は風に吹かれて散歩する>

という例を挙げて、この「風に吹かれて」の「吹く」を他動詞としている。(p1209

しかし、「吹く」の他動詞的用法は元来、

「息を吹く」「火を吹く」「霧を吹く」「芽を吹く」のように吹き出される物】がヲ格で指示されるか、

「(息で)口笛を吹く」「(息で)毛を吹く」のように【息を吹いて働きかける対象】がヲ格で指示される

のであって、<風が私を吹く>のように、「風によって吹かれる対象」(ここでは「私」)をヲ格で示す用法でない。<風を吹く>も<風で人を吹く>も「吹く」の他動詞的用法としては極めて不自然である。<雨が私を降る>の表現が不自然であるのと同様に、<風が私を吹く>の表現は「吹く」の自然な用法から外れている。「風が吹く」は<風が自ら起こる>のであって、「風に吹かれて」の「吹く」は自動詞的用法と判断せざるを得ない。

 

 

 

主要参考文献

           久野暲『新日本文法研究』1983(大修館書店)

           鈴木重幸『日本語文法・形態論』1972(むぎ書房)

           砂川有里子他『日本語文型辞典』1998(くろしお出版)

           寺村秀夫『日本語のシンタクスと意味 第一巻』1982(くろしお出版)

           三上章『現代語法序説』1972(くろしお出版)

           森田良行『基礎日本語辞典』平成元年(角川書店)

 

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