2017/07
≪06  1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12  13  14  15  16  17  18  19  20  21  22  23  24  25  26  27  28  29  30  31   08≫
「彼<が>彼女<が>好きなの<が>問題だ」のガ格分析をしてみる
176 リヨン研修会440pc 

*次の文は幾つかの場所で発表していますが、もう少し考えなければならない点がありそうですが、とりあえず、このまま載せておきます。

《「彼<が>彼女<が>好きなの<が>問題だ」のガ格分析》‐スペイン語を示唆として                                                                             天野 修治
1) はじめに
格助詞「が」にはまだまだ未解決の謎があり、係助詞「は」とともに日本語の基本助詞とも言える「が」の本質に迫ることができれば、日本語の文法は思いも掛けない姿を見せるのではないか、という予感を私は抱いている。ここではスペイン語を母語とする学生たちに日本語を教えているときに得たヒントをもとに、日本語の「が」に関する問題点を提起し、その解決策を探りたい。

≪彼「が」彼女「が」好きなの「が」問題だ≫
この文を読んで、たいていの人は「ん?」と首を傾げるだろう。そして今度は注意深く読んでみる…それでも「やっぱり変だ」と思う人もいれば、「いや、これでいいんだ」と納得する人もいるかもしれない。いずれにしても、この文は、意識的にせよ無意識的にせよ文法的に検証せざるを得ない構造を持っているようだ。

社内ゴシップを酒の肴にして話が弾む中で、若い社員が「結局、今回の件については何が問題なんでしょうね?」と先輩社員に水を向けると、「まあ、いずれにしても、いまだに彼が彼女が好きなのが問題なんだろうね」と人生の先輩としてまとめてみせる……表題の文からはこんな情景が想定できそうだ。

≪それにしても、この文は「が」ばかり三度も使っていて芸が無い≫と感じる人は多いだろう。この日本語文の構文をガ格分析という観点で、スペイン語を示唆として考察してみたい。

2) 概括的「ガ格」分析
彼<が>彼女<が>好きなの<が>問題だ
この文のガ格を一般の日本語話者の感覚を想定し、それに応える形で、まず概括的に分析してみると以下のようになる。

① 二つ目の<が>は<を>ではないのか? すなわち、「彼が彼女<を>好きなのが問
題だ」という文にしてみる。なるほど一見すっきりした文に見える。だが、「好きな」は動詞ではないのだから、少なくとも現在の日本語文法では「<を>好きな」とはならない。「<を>好きだと<思う>」ならば文法的に成り立つ。

②三つ目の<が>は<は>では駄目なのか? すなわち、「彼が彼女が好きなの<は>問題だ」という文になる。この文だけを見るのならばこれで良いのだが、「何が問題なのか?」の返答としては成っていない。三つ目の<が>を<を>に換えれば、先輩社員が敢えて<が>を用いて応えた意図が無になる。

③一つ目の<が>を<の>に換えられないのか? すなわち「彼<の>彼女が好きなのが問題だ」となる。たとえば「彼<の>賭け事が好きなのが問題だ」ならば誤解はないが、「彼<の>彼女が好きなのが問題だ」では、「<彼の彼女>が好きな」とも解釈できて誤解を生むので、この場合の<の>は使えない。

④一つ目の<が>を<は>にできないか? すなわち、「彼<は>彼女が好きなのが問題だ」としてみる。ここで「彼<は>」は「彼<については>」の意味になる。つまり、<彼>以外の人物、たとえば<彼女>については別の問題もあろうが<とにかく彼について言えば>こういう問題がある、という含みが込められている。したがって、これでは<今回の件については>という若い社員の質問に応えたことにはならなくなる。ここは情況から考えて、やはり<が>にならざるを得ない。

⑤二つ目の<が>は<は>に置き換えられないか? すなわち、「彼が彼女<は>好きなのが問題だ」となる。この場合は<他の人については好きではない>が、<彼女については好き>だと含みが生じ、別の情況を暗示してしまう。やはりここも「が」がふさわしい。

では、この文題のままでいいのか? 
まず、現在の共通語では<好く>という動詞が衰退したために、<好きな>を動詞のように扱ってしまっているのが、そもそもの混乱の原因になっている。また、<好む>という動詞は、たとえば<賭け事を好む>ならば違和感はないが、<彼女を好む>では明らかにそぐわない。したがって、文法的充足を得つつ、文脈や情況の設定無しに誰が誰に対して好意を持っているのかを明確にしたければ、①の検証で得た「<を>好きだと<思う>」を用いて解決するしかなさそうである。つまり、「彼が彼女<を>好きだと<思っている>のが問題だ」ということになる。

しかし、これでこの文の問題が解決したことにはならない。
「彼女<が>好きだ」のような文に現れる<が>は、英文法の視点から見れば「希望・好悪・可能などの対象」を示すように見えるので、時枝誠記によって「対象語格」を表わすとされた。この時枝説は、いまだに日本語の文法分析に大きな影響を与え続けている。しかし、後で述べるように、これは「対象語格」と位置付けるべきではなく、「<主体>を指し示す<が>」と考えるべきである。その理由を以下に展開してみたい。

3) 個別的「ガ格」分析
3)-1「対象語格ガ」をスペイン語構文から検証する
本項では、時枝誠記の唱えた「対象語格」をスペイン語文と比較しながら検証することから始めたい。

スペイン語文<Me gusta ella>(私に、気に入る、彼女が)は日本語文「私は彼女が好きだ」に当たるが、実は<ella>(彼女が)が文法上の主語を示している点で、日本語文の「彼女が好き」の<が>を彷彿とさせる。(注1)

<Me>は間接補語(或いは間接目的語)で対応する日本語文の部分は「私に」、<gusta>は動詞gustarの三人称単数現在形で「気に入る」、そして<ella>は主語で「彼女が」、つまり「私には彼女が気に入っている」となる。

もっとも一般の日本語話者には、「私は彼女が好きだ」にしても「私には彼女が気に入っている」にしても、「彼女(が)」を文法上の主語とするには相当の抵抗がある。感情主と英文法から借りた用語である主語を分ける発想が行なわれてこなかった事情が、学校文法にあるからである。

前項で述べたように、本稿では私はガ格を主格を表わすと言わないで、「<主体>を指し示す」と言うことにする。英語などで言う主語・主格と日本語の<主体>・<ガ格>には同一視できない溝があるからである。
 
後で触れるが、日本語のガ格は英語などで言う主格に似通った点はあるが、「人間の力では抑制できない、あるいは、第三者の力ではあがなえない、ただ受け入れるしかない、厳然たる事実」を指し示す、という限定した条件が背景にある点で、英文法のいわゆる主格とは大いに性格を異にしているからである。

さて、このスペイン語文<Me gusta ella>(私は彼女が好きだ)での主語<ella>に相当する日本文での「彼女」を、時枝は「対象語」と呼び、この場合の「が」の持つ働きを「対象語格」と呼んでいるのだが、なぜこう呼ぶことにしたのか、そのへんの事情から見直してみたい。
時枝は『日本文法口語篇』(岩波全書1950年)で次のように説明している。

≪仕事がつらい。 算術が出来る。
の例に於いて、「仕事」「算術」を、「つらい」「出来る」の主語とすることが出来るかといふと、ここに問題がある。主語は、それとは別に、
  私は仕事がつらい。 彼は算術が出来る。
に於ける「私」「彼」を主語と考へるべきではないかといふ議論も出て来て、「仕事」「算術」をどのやうに取り扱ふべきかが問題になる。
  
ここで、「私」「彼」は
当然主語と考へられるので、「仕事」「算術」は、述語の概念に対しては、その対象になる事柄の表現であるといふところから、これを対象語と名づけることとしたのである。
山が見える。
汽笛が聞える。
犬がこはい。
話が面白い。
等の傍線の語は、皆同じやうに、主語ではなく、対象語と認むべきものなのである。≫(p277-278)

 時枝のこの「対象語格」を検証する前提として、いわゆる「主格のガ」について私は次のように捉える。

「雨が降る」「塀が高い」における「が」のように、動作・作用・状態の主体を指し示す格助詞を用いた表現は、一般的には江戸時代以降に広まり確立したと言われている(注2)。この「が」の出自は「我が国」の「が」のように所有格として用いられてきたものである。いわば「主体を指し示す」はガ格の新参者である。

古来、日本人は動作・作用・状態の主体を明確にすることよりも、その動作・作用・状態を自然的な生起として把握することに関心があったようだ。日本語を母語とする人々の、人為的なものよりも自然の営みから生起するものを畏敬する傾向は、「所有格のガ」が役割分化して「主体を指し示すガ」として使われるようになってからも基本的には変わらずに来た。今日の表現で考えても、「好きだ」と言えば「気に入ったものに向かってひたすら心が走る状態」を示すのだが、そういう状態になった感情主に「主体を指し示すガ」はつかない。感情主をそういう状態にさせた「生起主」に「が」がつくのである。

「私は彼女が好きだ」の文においては、感情を「好きだ」という状態にさせる「生起主」は「彼女」であるから「彼女」に「主体を指し示すガ」が付いているのだが、感情主は「私」ということになる。

もう少し、『日本文法口語篇』で時枝の挙げた例を取り上げて「対象語格」について考えてみよう。
 
時枝は「仕事がつらい」「犬がこはい」「話が面白い」「山が見える」「汽笛が聞える」における形容詞「つらい」「こはい」「面白い」と自動詞「見える」「聞える」などの<対象語>をそれぞれ「仕事」「犬」「話」「山」「汽笛」としている。一方、「町が淋しい」については、<「淋しい」は客観的な状態、「町」は主語>としている。

ここで、「町が淋しい」の「淋しい」を<客観的な状態>と見做し切ることができるかというと、必ずしもそうは言えない。町が淋しいかどうかは、それを感じる感情主に拠るのであって、この「町」の文法的位置と、時枝が先に<対象語>の例として示した<「仕事がつらい」の「仕事」>の文法的位置との間の明確な違いは示されていない。

「私はこの町が淋しい」は「私にとってこの町は私を淋しく感じさせる<生起主>だ」ということであり、同様に「私はこの仕事がつらい」は「私にとってこの仕事は私をつらくさせる<生起主>だ」ということになり、これら二つの形容詞の負っている文法的役割に差を設けることへの相応の根拠も示されていない。

日本語母語者の「人為的なものよりも自然の営みから生起するものを畏敬する傾向」は、文における述語の「動作・作用・状態の主体を明確にすることよりも、その動作・作用・状態を自然的な生起として把握する」ことに関心が向けられ、日本語文においては、<生起主>よりも<感情主>を敢えていわゆる<主語>とすることは、むしろ不自然であり、それ相当の根拠が示されなければならないはずだが、時枝の<対象語格>説にはそれが見当たらない。
 
「仕事が出来る」の「出来る」とは「仕事」そのものが「出て来」てその姿を現すのであり、「仕事が気に入る」の「気に入る」とは「仕事」自体が感情主の「気に入(はい)ってくる」のであり、「山が見える」の「見える」も「山」自らが感覚主の「視界に入ってくる」のである。そして、「彼女が好きだ」とは、「彼女」の存在が感情主の感情を「好き」という状態にさせる、つまり「彼女」が「生起主」、と捉えるのが極めて自然であることの所以が上に述べた<日本語母語者の変わらぬ傾向>にある。

3)-2  目的格を表わす「が」
次に、時枝の提唱した<対象語格>の考えを引いている<目的格を表わす「が」>の考えについて触れてみたい。
 
久野暲(すすむ)は『日本文法研究』(大修館書店、1973)の第4章(目的格を表わす「が」p48-49)で、

Samuel E.Martin(1956)の
<助詞「ガ」は主語を表わす。「映画ガ好キデス」" I like movies " では、「映画」は「好キデス」"are liked" の主語である>(Escential Japanese, Charles E.Tuttle,Co., p.44)、
また、Eleanor Jorden(1926)の
<タイ形には一つの変わった特徴がある。すなわち、動詞の(助詞「ヲ」のついた)直接目的語がしばしば(助詞「ガ」を伴って)タイ形の主語となることである>(Beginning Japanese, Yale University,Part 1,p100)

という分析を紹介し、これに続けて、久野は次のように述べている。

≪上の分析に従えば「飲ミタイ」「欲シイ」「好キダ」は自動詞で、それぞれ「飲むことを望まれている」「要求されている」「好かれている」という、日本語の話し手の語感とはかけ離れた意味を持っていることになる。≫
さらに、
「僕ハオ茶<ガ>飲ミタイ」(久野氏の文例2a)と「僕ハオ茶<ヲ>飲ミタイ」(3)、「僕ハ花子<ガ>好キダ」(2c)と「僕ハ花子<ヲ>好キダ」(4)について言及し、上記両氏(Samuel E.Martin、Eleanor Jorden)の分析では、これらの文は、
 
≪全く異なった文構造を持っていることになってしまう。同一の話し手でも(2a)、(3)の 両方を使うことがあるから、上の分析に従うと、これらの話し手達は、「飲ミタイ」に「…が飲むことを望まれている」と、「…飲むことを欲する」という二つの意味を持っているという分析結果になる。≫

と疑問を示している。

さて、上記に引用した久野の稿を踏まえて、「僕ハ花子<ガ>好キダ」(2c)と「僕ハ花子<ヲ>好キダ」(4)について、見てみよう。
なお、<タイ文>が<が>と<を>の両方をとり得ることについては、これだけで別に一稿著さなければならない問題になるから、ここでは詳しく触れないが、一言だけ言っておく。

「<が>(動詞)たい」は「(動詞)たい」を一種の形容詞(イ形容詞)として扱っている用法で、例えば「彼女に手紙<が><送りたい>」のように間接目的語がある文には、「<を><送り>たい」のように<ヲ+他動詞+タイ>と捉えるのが自然になり、<が>をとり「~たい」を一語と捉える形にはもう無理が生じてくる。したがって、「好き」という一語と「~たい」形の問題は基本的には別に論じるのが適当である。

Samuel E.Martinの
≪助詞「ガ」は主語を表わす。「映画ガ好キデス」“ I like movies ” では、「映画」は「好キデス」“are liked” の主語である≫

という分析に対して、久野はSamuelの捉える「好キダ」をそのまま「好かれている」と解釈(すなわち、「映画が私によって好かれている」)しているが、私はSamuelの分析<「映画」は「好キデス」の主語である>を「映画が私に対して<好キダ>という状態にさせている>と捉え直して考えたい。

つまり、この場合の「好キダ」を受身 "are liked" ではなく、むしろ「使役」の意味合いで捉えるのである。ここで言う「使役」をもう少し正確に言うと「<映画>(生起主)が<私>(感情主)を<好キダ>という状態にさせている>ということになる。なぜならば、「好き」という感情は感情主の意のままにならなく、むしろ、感情主を<好き>という状態にするかどうかは<生起主>の存在が<感情主>の感情を喚起「させる」かどうかに依るからである。この文での主体は飽くまでも「映画」なのである。

前に述べたように、これに類似した文構造はスペイン語文にも見られる。例えば「僕ハ花子<ガ>好キダ」(2c) のスペイン語文はMe gusta Hanakoとなるが、この文では、 Meは間接補語(或いは間接目的語)「私に」、gustaは自動詞で「気に入る」、そしてHanakoはこのスペイン語文の文法的主語で「花子が」、つまり「私には花子が気に入っている」となる。

日本語の「好き」は形容動詞(ナ形容詞)でスペイン語のgusta(不定詞はgustar)は自動詞、という違いはあるが、「<花子>(生起主)が<私>(感情主)を<好キダ>という状態に<させている>」という文構造の認識は、共通のものがある。自動詞gustaは感情主に<好き>という状態にする<働き掛け>を表わし、形容動詞「好き」は<働き掛けた結果の状態>を表わしている違いがあるだけである。

次に「僕ハ花子<ヲ>好キダ」(4)を見てみる。
「僕ハ花子<ヲ>好イテイル」のように動詞「好ク」が使われれば問題ないが、形容動詞「好キダ」が使われている限りは「<ヲ>好キダ」の用法は文法的に説明がつかない。今のところ、誤用による例外的表現、という指摘は免れないだろう。将来的に誤用の慣用表現となる、という見通しを暗示するに留めるのが適当だろう。
 
同じ稿で久野は、Samuelの<「花子」を主語>とする立場では、「僕<ガ>花子<ガ>好キダ(トイウコト)」(5 c)のように<「ガ」が同一文中に現れる場合の説明もなされていない>と指摘し、また、例文(5 c)の<パタン>を<二重主語構文と同一視することはできない>とし、次のような論を展開している。

 ≪例えば「文明国<ガ>男性ノ平均寿命<ガ>短カイ」(6)
では、文頭の「名詞句+ガ」を取り除いても、省略的でない完全文ができる。
「男性ノ平均寿命<ガ>短カイ」(7)
ところが(5)の文頭の「僕ガ」を省略すると、不完全な省略文ができる。
「花子<ガ>好キダ」(8 c)≫

上の久野の分析でまず、「文明国<ガ>男性ノ平均寿命<ガ>短カイ」(6)自体が<省略的でない完全文>なのか疑問が残る。
何も前提条件の無ければ「文明国<(で)は>男性の平均寿命<が>短い。」が普通の文で、(6)はいわゆる<…は…が…>の文(例:「私の部屋<は>窓<が>小さい」)の初めの<は>の代わりに<ガ>を使っている例と考えていいだろう。(6)が文として成り立つためには、例えば「文明国<ガ>男性ノ平均寿命<ガ>短カイ(のは、次のような理由が考えられる)」とカッコ内を補わなければならない。

構文的には、「文明国<ガ>男性ノ平均寿命<ガ>短カイ(<の>は、…)」の(<の>あるいは<ということ>)の部分が不可欠になる。つまり、(6)が文法的に成立するには全体として「名詞節」を作らなければならない。

さらに久野は、
≪((6)の)文頭の「名詞句+ガ」を取り除いても、省略的でない完全文ができる。≫
と続けて、「男性ノ平均寿命<ガ>短カイ」(7)
を示しているが、結局これも(6)についてと同様に、「男性ノ平均寿命<ガ>短カイ(ということ)」のごとく、文法的に成立するには全体として「名詞節」にする必要がある。依って(7)も<省略的でない完全文>とは言い難い。

一方、久野が<(5)(僕<ガ>花子<ガ>好キダ)の文頭の「僕ガ」を省略すると、不完全な省略文ができる>として示した
「花子<ガ>好キダ」(8 c)
は、「話し手の明示を避ける傾向のある日本語表現では、感情語は話し手自身の感情を表わすことが多い」という性質を鑑みると、強ち<不完全な省略文>とも断言できない。すなわち(8 c)は「僕は花子がすきだ」の意味で使われ理解されることが多い。

4) 従属節の「が」
さて、≪「花子」を主語>とする立場では、「僕<ガ>花子<ガ>好キダ(トイウコト)」(5 c)のように<「ガ」が同一文中に現れる場合の説明もなされていない≫
という久野の疑問について考えてみよう。
 
まず、「省略的でない完全文」としては、「僕<ガ>花子<ガ>好キダ。」という文はあり得ないことを確認しておく。これは「僕<ハ>花子<ガ>好キダ。」の文が従属節として扱われたときか、「誰が花子に好意を持っているのか」への応えとして扱われたとき、に初めて「僕<ハ>」が「僕<ガ>」となり得るのである。
 
また、前述の(6)の文で分析したように、「花子<を>好きだと<思っている>のは誰ですか?」という質問に答える場合は日本語文では「僕です。」と答えるのが普通で、実際の会話では「僕<が>花子<が>好きです。」のほうが特殊な表現になる。
 
一方、「【僕】<ハ>【花子<ガ>好キダ】。」の文は「【僕】は(について言えば)、【花子<ガ>好キダ】。 」のように解釈できる。
ところが、<ハ>は従属節の中では収まりにくい性格を持っている。<ハ>は常に文の最終陳述に落ち着き所を求める性格があるので、(トイウコト)を補って「僕<ハ>花子<ガ>好キダ(トイウコト)」とすると、例えば、「僕<ハ>、花子<ガ>好キダ(トイウコト)に気がついた。」のように、「僕<ハ>」は最終陳述を成す「気がついた」に係ってくる。

そこで、「僕<ハ>」の替わりに「僕<ガ>」と<ガ>を使うと、「僕<ガ>」は「花子<ガ>好キダ(トイウコト)」に係ってくる。厳密に言えば、「僕<ガ>」は「コト」に係る。この<ガ>は実は<ガ>の本質であるところの「体言と体言を結び付ける性格」を発揮しているのである。

5) <結論>
① 「彼が彼女<が>好きなのが問題だ」の二番目のガ格は「生起主」を指し示す「主体のガ」である。

以上、述べてきたように、文題に示されているような「<が>好き」の<が>が指し示すのは、時枝や久野が唱える「対象語」でも「目的語」でもなく、飽くまでも「主体」である。すなわち、「現象や感情を生起する(生じさせる)主体となるもの」である。ここで言う「現象」とは、自然現象に象徴されるように、
(A) 「人間の恣意の入る余地の無い現象」「人間の力では制御できない、在るがまま、起こるがまま認めるしかないと認識される事柄」〔文例:雨が降ってきた。〕、
そこから(B) 「他者の恣意の入る余地の無い紛れも無い事実」「第三者の人間の力では在るがまま認めるしかないと判断される厳然たる事実」〔文例:彼がやって来た。〕にも援用される。

時枝や久野の説では、この<が>が対象語格や目的格ならばなぜ「を」を使わないか、という疑問に答えられない。
私は上に示した(A)(B)の性格の<が>を大きく捉えて仮に「主体の<が>」と呼ぶことにする。英文法用語をそのまま借りた「主語を指し示すガ」も「主格のガ」も、日本語のこの性格の<が>に対する解釈に誤解を招く恐れがあるからである。

②「彼<が>彼女が好きなのが問題だ」の一番目のガ格は、<が>の連体修飾格の性格を生かした「連体のガ」である。

「彼<が>彼女が好き」の部分を文にすると、何も前提条件の無い普通の文では、「彼<は>彼女が好き(だ)」となる。つまり、「彼<が>」の<が>は通常の文の<は>に取って代わったものである。なぜ<は>が<が>に変わるか。それは「彼<が>彼女が好きな【の】」と、【の】でこの節全体を名詞化して従属節の役割を与えているからである。このとき、通常使われる<は>は役に立たない。<は>は読点も句点も楽々と超えたところにある語に掛かる性格を持っているからである。<彼>が掛かる範囲を従属節内に収めるには<は>は跳躍力がありすぎるのである。

そこで<が>が<は>の代役として登場する。<が>なら出身は「連体助詞」であるから、体言と体言を結びつけ、<彼>が掛かる範囲を従属節内に収める仕事に適任だからである。この従属節中の<が>がさらに現役の連体助詞である<の>に代替できることが多いのは、こうした事情があるからである。但し、<の>は体言と体言を結びつけるスペシャリストであるから、「彼<の>彼女<が>好き」の場合のように、強烈な所有格の性格を発揮して「彼の彼女」という意味上の誤解を生じ、代替できないこともある。

彼<が>彼女が好きな【の】」の<が>を上述のように捉えて、この性格の<が>を仮に「連体の<が>」と名づける。久野暲の説からは、この性格を持つ<が>の位置がわからない。久野は単文のみを前提にして、<が>を「総記」「中立叙述」「目的格」を表わすもの、としているからである。従属節中の<が>は単文中の<が>とは環境が違うのであるから、当然、別の視点が用意されるべきである。(注3)

③「彼が彼女が好きなの<が>問題だ」の三番目のガ格は、問い掛けへの応答を示す「応答のガ」である。

この文題は何も前提条件が無い場合は「彼が彼女が好きなの<は>問題だ」となる。通常<は>のところが<が>に取って代わられているのは、「彼<が>彼女が好きな【の】」と似ている。しかし、「彼<が>彼女が好きな【の】」は<彼>が掛かる範囲を従属節内に収めるために<が>の連体格としての性格を利用しているのに対して、「彼が彼女が好きなの<が>問題だ」の<が>は、表面的潜在的に関わらず「何<が>問題なのか?」という<疑問詞+ガ>による「問い掛け」が前提になっている。他者の問い掛けに答える形でも自己の疑問に答える形でも「~<が>問題だ」とならざるを得ない仕組みになっているのである。

この「疑問詞+<が>~か?」の形は、前述2の(A)「人間の恣意の入る余地の無い現象」(B)「他者の恣意の入る余地の無い紛れも無い事実」を指し示す<が>の性格を色濃く反映している。「何<が>~か?」「誰<が>~か?」に求められている応答は揺るがすことのできない事実、つまりすでに決定している事実として「~<が>~だ」と答えなければならない強い限定力を持っているのである。この応答文に現れる性格の<が>を仮に「応答のガ」と呼ぶ。

結論として1、2、3にまとめたように、文題の「彼<が>彼女<が>好きなの<が>問題だ」のガ格分析を通して、日本語の「格助詞」(に位置づけられている)<が>の性格を、私は本稿での考察の結果、単文だけではなく複文の従属節での役割も考慮に入れ「連体のガ」「主体のガ」「応答のガ」に分類し、特に「主体のガ」では従来の「対象語格」説や「目的格」説へ疑問を提起した。
本稿が<ガ格>の本質を明らかにする今後の研究の参考になれば幸いである。

(注1)「好き」とgustarについては、堀田英夫「スペイン語 GUSTAR 構文と日本語<好キ>構文」、単著、平成 6年 3月、『愛知県立大学外国語学部紀要言語・文学編』第26号、(B5判、P203~P217)がある。
(注⒉)大野晋『岩波古語辞典』解説で言及。
(注3)久野は文例によって(トイウコト)のように付け加えてはいるが、ガ格が単文と複文では本質的に性格を異にすることを喚起しなければならない。




<↓クリックすると関係ブログが見られます>
にほんブログ村 教育ブログ 日本語教育へにほんブログ村 旅行ブログ スペイン旅行へにほんブログ村 旅行ブログ 中南米旅行へ 


関連記事
スポンサーサイト

tag : 彼<が>彼女<が>好きなの<が>問題だ ガ格分析

 
Secret
(非公開コメント受付中)

バルセロナの情報&コミュニティサイト「バルセロナ生活」
Living in Barcelona, Spain 世界各国/地域に1サイトのみの海外日本人向けのサイトのバルセロナ版です。 読者による投稿型サイトなので、皆さんの投稿で出来上がっていきます。
最近の記事
カテゴリー
プロフィール

黛 周一郎Shuichiro Mayuzumi

Author:黛 周一郎Shuichiro Mayuzumi
Centro de japonés
NAKAMA-ASOCIACIÓN PARA EL FOMENTO DEL INTERCAMBIO CULTURAL HispanoJaponés

FC2掲示板
FC2カウンター
連載「バルセロナの侍」「スペイン語を一か月でものにする方法」など
①小説「バルセロナの侍」 ②言語習得「スペイン語を一か月でものにする方法」 ③旅行記「ガラタ橋に陽が落ちる~旅の残像」 ④エッセイ「人生を3倍楽しむ方法 - なぜ日本を出ないのか」 を連載しています。
にほんブログ村
<↓クリックすると関係ブログが見られます>
にほんブログ村 教育ブログ 日本語教育へ
にほんブログ村 旅行ブログ スペイン旅行へ
にほんブログ村 旅行ブログ 中南米旅行へ
にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村 旅行ブログへ
人気ブログランキング
PC2ブログランキング
FC2 Blog Ranking

FC2Blog Ranking

ブログ王
QRコード☛このブログのアドレスをケータイやスマホでメモできます。
QR
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

Publicación 出版著書 La esencia del Japonés
     ”La esencia del Japonés'      - Aprender japonés sin profesor     『日本語のエッセンス』ーひとりでまなぶにほんごー                    ↓
ブログ内検索
ブログ内記事リスト&リンク
By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ