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日本語のエッセンス(27)「知らない人 / 知っていない人」?:日本語の問題児「知る」の謎を探る。

(*写真:スペインのファンシーグッズ売り場。日本の「カワイイ」は世界では新鮮に映る。日本で言う「きもカワイイ」が世界のファンシーの標準だからかもしれない。「KAWAII」はもはや国際語となりつつある)


日本語のエッセンス(27)「知らない人 / 知っていない人」?:日本語の問題児「知る」の謎を探る。

 

動詞「知る」は日本語の動詞の中でも際立って特殊な立ち位置に有り、その振る舞いも独自すぎる。「知る」に秘められた謎を解くことは、日本語の奥に秘められた、何かとんでもない秘密に触れるのかもしれない。

 

ひょっとすると、「知る」はこれまでの日本語の定説を覆すような「パンドラの匣(はこ)」かもしれない、この箱を開けたら、日本語はどんな姿を現すのだろうか。

ともかく、この動詞に対峙(たいじ)してみる必要があるだろう。

 

「知る」の否定形は「知らない」である。「知る」は「ある情報を得る」という行為であるから、その情報を得た結果の状態は「知っている」である。日常生活では知ったあとの状態を話題にすることが普通だから、「あのこと、知っている?」というように「知る」よりも「知っている」を多く使う。

 

「それについて、知っていない?」

というように「知っていない」を使うだろうか。違和感を持つ人が多いと思う。ここは

「それについて、知らない?」

 

と言うのが自然な現代日本語ということになるだろう。

つまり「知っている」に対応する否定形は一般的には「知らない」なのである。

 

もう一度確かめると「知る-知らない」の対(つい)は「知っている-知っていない」の対をつくるはずである。しかし今述べたように「知っている」に「機能」上で対応する否定形は一般的に「知らない」なのである。

 

「知る」の秘密を解く鍵のひとつはこの「知っている-知らない」のペアがなぜ成り立つのか、ということである。ここから日本語の秘密が篭められていると思われる「知る」という箱に、まず覗き穴が空けられるかどうか、試みたいと思う。

 

「知る」に似た性格を持つ動詞に「死ぬ」がある。「知る」は「行為・動作・作用が瞬間的に完了してその結果の状態が変わらない」性格、すなわち「瞬間動詞」と呼ばれる動詞である。「結果動詞」という分類の仕方もあるが、ここでは「瞬間動詞」として扱うことにする。

 

つまり「知るという行為は知らない状態から知った状態になるまでが瞬間的であり、その知った状態は基本的には知らない状態には戻れない」のである。

 

「死ぬ」もまた「生きている状態から死んだ状態になるまでは瞬間的で、いったん死んだ状態になればもはや生きていたときの状態には戻れない」ということである。

ただし、「知る」は他動詞で「死ぬ」は自動詞という違いがある。

一見同じような性格を持っているかに見える「知る」と「死ぬ」を比べてみる。

 

「知る」の「ている形」は「知っている」で、その「知っている」の否定形は多くの場合、「知らない」が自然である。

 

すなわち、「その件は知っている」の否定文は「その件は知らない」が自然な現代日本語である。「その件は知っていない」とも言えそうだが、ぎこちないことは否めないだろう。

かりに「その件は知っていない」でも良いとしても、「知っていない」の代わりに「知らない」が堂々と使えて、しかも正位置だと言ってもいい働きをしていることは事実である。

 

では「死ぬ」はどうだろうか。「死ぬ」の「ている形」は「死んでいる」であり、その「死んでいる」の否定形は「死んでいない」である。「死ぬ」に対応する否定形は「死なない」であり、「死んでいる」に対応する否定形は「死んでいない」である。

 

つまり、「死ぬ-死なない」「死んでいる-死んでいない」の対(つい)が成り立ち、「死んでいない」の代わりを「死なない」が務めることはできない。「彼は死んでいない」と「彼は死なない」に意味の違いは歴然としている。「彼は死なない」の「死なない」は不死身、つまり「恒久的」に生きられることを示唆するのである。

 

瞬間動詞の中でもイメージが明確な「死ぬ」と比べてみたが、もう一つ、「知る」に極めて似ている動詞「分かる」と比べてみよう。

 

「分かる」も「分からない状態から分かった状態になる変化は瞬間的に完了し、その結果の状態は基本的には分からない状態には戻らない」性格である。ただし、「知る」が「他動詞の瞬間動詞」であるのに対して「分かる」も「死ぬ」と同様に「自動詞の瞬間動詞」である。

 

さて、具体的に「知る」と「分かる」を比較してみる。

「知る」は「これを知っていますか」と訊けるが「これを知りますか」とは訊けない。それに対して、「分かる」は「これが分かっていますか」も「これが分かりますか」も両方可能である。

そして「知る」の否定の表現が「知りません」(?知っていません)であるのに対して「分かる」の否定の表現は「分かりません」と「分かっていません」(今現在の状態)となり、「ない形」と「ていない形」が極めて自然に使い分けられるのである。

 

「~ています」を使った「分かっていますか?」(理解できるという 状態がすでに確認されていますか?)「分かっていません」(理解できないということがすでに確認されています)は「分かりますか?」(いま現在、理解できますか?)「分かりません」(いま現在、理解 できません)と意味的に明確な区別があると見られる。

 

これに対して「知る」は、知覚作用の動詞であり、「知っている」で「情報を得た結果の状態」を示す。

 

「~ています」を使った「知っていますか?」(情報を得た状態がすでに確認されていますか?)の返答として「知りません」が使える。つまり「知りません」は「知っていません」と同様に「情報を得ていない状態がすでに確認されています」という「知っていない状態」を表すことができるのである。

 

つまり「知っていない」という表現が使われるにしても、「知らない」は「知っていない」を包含する「状態」を表すことができるので「知っていない」のほとんどの席に取って代われるだと思われる。

 

言語学者、久野暲が『新日本文法研究』(大修館書店1983年)で「知らない」と「知っていない」の異同について言及している(p.109p.116)ので、その主張を検証してみよう。

 

久野の視点を《 》で順に引用して、その後に私の検証を述べる。

まず「構文法的要因」については

《A. 「知ッテイル」と平地され、肯定・否定の対比を表わす時には、「知ッテイナイ」が用いられる。》

とある。

 

例えば

「そのことを知っていても、(〇知っていなくても / ?知らなくても)結果には関係ないだろう。」という文例が考えられる。だが、これは「知る」以外の動詞についても同様のことが言えるので、「知っていない」と「知らない」の差異が生じる要因としては、ここでは除外する。

 

「知る」以外の動詞「分かる」での検証文例:「それが分かっていても(〇分かっていなくても / ?分からなくても)、とにかく返事だけはしてれ。」

 

《B. 活用変化語尾「・・・ケレバ」が附加された場合、「知ッテイナイ」パターンが義務的に用いられる。「知ラナケレバ」は、「知るようにならなければ」の意味しかない。》

 

久野は次のような文例の場合は「知らなければ」は「不適」だという。

 「この試験に合格するためには、日本語をよく【知らなければ】ならない」

 

 久野はこれらの文例について、但し《「知らなければ」が現在の状態を表わす場合》としている。

 

つまり、

「(今)この試験に合格するためには、(今)日本語をよく【〇知っていなければ / ×知らなければ】ならない」

という見解である。

 

しかし、これは「今の時点までに、日本語についての知識を充分に持っていなければならない」という「充分な日本語の知識をある時点までに得ているかどうか」の「完了」の有無の問題であり、久野の主張する《「・・・ケレバ」が附加された場合、「知ッテイナイ」パターンが義務的に用いられる》とは言い切れない。したがって、これも「知っていない」と「知らない」の差異が生じる要因としては、ここでは除外する。

 

《C. 活用変化語尾「・・・クテハ」、「・・・クテモ」が附加される場合には、「知ラナイ」と「知ッテイナイ」両パターンが用いられ得る。推量形「・・・カロウ」も同様である。》

 

これは「知っていない」と「知らない」の両方が使える、ということで、両者の差異の要因としてはここでは除外する。

 

 《D. 「知ッテイル」の否定形が、肯定の推量を表わす場合には、「知ッテイナイ」パターンも用いられ得る。》

これも上記Cと同様の理由で、両者の差異の要因としてはここでは除外する。

 

次に久野が挙げている「意味的要因」を見てみる。

《A. 「知ッテイナイ」は、動作・完了性に着目した表現であり、「知ラナイ」は、静的状態に着目した表現である。》

 

久野は「ドイツ語を(×知っていない / 〇知らない)」や「山田さんが(×知っていない / 〇知らない)人」のような文例を示している。ここでは「完了性」は前提にされていない。

 

久野はここから、逆に「完了性」が強く出る文脈では「知っていない」が使われ得るとして、次の文例を示している。

 例)「このクラスの学生たちは、英語進行形の用法はまだ【知っていない】と思います」

しかし、この文例の「知っていない」を「知らない」に入れ替えても、

「このクラスの学生たちは、英語進行形の用法はまだ【知らない】と思います」

と自然な表現になり、

 

久野の主張である《「知ッテイナイ」は、動作・完了性に着目した表現であり、「知ラナイ」は、静的状態に着目した表現である。》のうち、

後半の《「知ラナイ」は、静的状態に着目した表現である》の部分は明確には認められない。また、前半の《「知ッテイナイ」は、動作・完了性に着目した表現》という点は、他の動詞、例えば「分かる」においても

「今日までにこの問題は【分かっていなければ】ならない」と言える。

したがって、「知っていない」だけが「完了性」を特別に表現できるとは認められない。

 

以上の検証から、久野の主張する《「知ッテイナイ」は、動作・完了性に着目した表現であり、「知ラナイ」は、静的状態に着目した表現である。》も、「知っていない」と「知らない」の差異が生じる要因としては、ここでは除外する。

 

むしろ「知らない」が「知っていない」の持つ「状態性」を包含する動詞形態であることに注目したい。

 

《B. 従って、「・・・ヲ知ッタ」という表現が困難であればある程、「知ッテイナイ」を用いることが困難である。》

 

例えば「私はドイツ語を【?知った】」が通常の表現としては違和感がある、ということを指していると考えられる。通常は「私はドイツ語を【知っている】」という表現を用いるからだ。なるほど、この否定文は「私はドイツ語を(?知っていない / ○知らない)」である。

 

だが、「私は【その時期】、ドイツ語を【知った】」とすると、これは違和感がなくなる。

したがって、「知っていない」を用いることが困難なのは「知った」という表現が困難なことが原因ではなく、「それを知るのに、ある程度の時間がかかる」場合である。

 

以上の検証から、久野が主張する《「・・・ヲ知ッタ」という表現が困難であればある程、「知ッテイナイ」を用いることが困難である。》は、「知っていない」と「知らない」の差異が生じる要因としては、的を射ていないと思われ、ここでは除外する。

 

さて、この久野の主張の検証から発展させて、私が上記のように触れた視点、すなわち

「私はドイツ語を(?知っていない / 〇知らない)」について考えてみる。

 

この場合の「ドイツ語を知る」とは「ドイツ語を全体として習熟している」ということで、「ドイツ語のある単語を【〇知った】」の「知る」が意味する「瞬間的にある単一の情報・知識を得る」ことではない。すなわち私が得た視点は、「知る」には二通りの内容があるということを示唆している。

 

「知る」が獲得する情報には質的な面で大きく二つに分けられる。

一つは「ドイツ語のある単語」を対象にする場合のように、「その【情報を得る行為の開始から終了までが瞬間的に完了】して、その結果、情報は知識として変わらない状態となる」、言わば普通の瞬間動詞として機能する情報の対象である。

 

もう一つは「ドイツ語そのもの」を対象にする場合のように、「その情報全体を得る行為の開始から終了までにある程度の時間が必要で、それを熟知・習得・精通した状態」を意味する「知る」である。

 

この「知る」の意味の二面性については、改めて後述する。

 《C. 「知ッテイナイ」は、それが表わす状態が非恒常的であることを示唆する。》

 

例えば、「彼が今そのことを(〇知っていない / 〇知らない)のは問題だ。」

という文例を考えると、「知っていない」も「知らない」も「非恒常的」な状態について言える。

 

では次の文例ではどうだろうか。

「その内容をずっと(?知っていない / 〇知らない)で死ぬことはできない。」

つまり、「知らない」は恒常的・非恒常的な状態の両方に使えるが、「知っていない」は恒常的な状態の場合には使えないことが分かる。

 

ところが、他の瞬間動詞、例えば「分かる」の否定形「分からない」で考えてみると、

「彼が今そのことが(〇分かっていない / 〇分からない)のは問題だ。」(非恒常性)

「その内容がずっと(?分かっていない / 〇分からない)で死ぬことはできない。」(恒常性)

となる。すなわち、「ない形」が恒常的・非恒常的な状態の両方に使えて「ていない形」が恒常的な状態の場合には使えないことは、「知る」という動詞に限らないのである。

 

《D. 「知ラナイ」は、知識の欠如を、その主体(主語)の内側から見て記述した表現であり、「知ッテイナイ」は知識の欠如を、外側から客観的に観察して記述した表現である。》

 

試みに文例を考えてみると、

「ダメだな。君はそのことを全く(〇知っていない / 〇知らない)んだね」(客観的)

「私は全く(×知っていない / 〇知らない)んです。」(主観的)

となり、「知っていない」は客観的な観察からの表現に向いていることは分かるが、ここではむしろ「知らない」が主観・客観の両面からの視点で言える、という事実のほうが重要である。

 

さて、久野の「知っていない」「知らない」の差異についての見解の検証をする中で、私は日本語の「知る」とスペイン語の「知る」との関係が頭から離れなかった。それは次のようなものである。

 

スペイン語では日本語の「知る」に当たる動詞は「saber」(単一の情報を得る)と「conocer」(複合体としての情報全体に習熟・精通する)に分けて使われる。

 

日本語では「彼はドイツ語を(?知っていない)。」という表現よりも、「彼はドイツ語を【知らない】」のほうが適切な表現だと言える。

 

上記の文例は、前提として、ドイツ語が外国語である場合を想定して述べたものである。「ある外国語を知る」ということは、スペイン語で言う「conocer」(複合体としての情報全体に習熟・精通する)の意味のほうを指す。

 

例えば、「山田さんは知人」の意味で「私は山田さんを(〇知っている / ×知る」と言う場合、名前のみを知っているときはsaber、知り合いなどで人柄まで分かっている場合にはconocerを使うのである。

 

その否定文の文例は「私は山田さんを(?知っていない / 〇知らない)」

となる。

 

日本語の「知る」はスペイン語の「saber」「conocer」の両方の意味をカバーする動詞と思われる。日本語話者は無意識のうちに両者の領域の境界を探りながら使っているのではないだろうか。

 

また、「知る」の語の本質は「領(し)る」(占有する。すっか り自分のものにする)で、そこから「その情報を持つ」「精通する」 などの意味が出て来たようだ。

 

ある領土を「領(し)る」のは全体を支配できたと認識した場合、つまり、「習熟」「熟知」「精通」している場合で、基本は「ある人がどんな人であるかを知る」「外国語を知る」などのような意味に軸足を置いた動詞だと思われる。

 

 以上の点から、「知っていない」「知らない」の問題は、次のように考えられる。

「知っている」の打消し表現として、「知っていない」という表現も存在するが、一般的に「知らない」のほうが圧倒的に使われているという実情を見ると、日本語の「知る」は、「単一の情報からの知識」の領域よりも、幾分「複合体としての情報全体への習熟・精通」の領域のほうに軸足を置いた表現であることが分かる。

 

つまり、日本語の「知る」は「占領する。占める」という意味から来ていて、スペイン語のsaberconocerではconocerのほうに近い意味だと考えて良い。

 

すなわち、もともとconocer(複合体としての情報全体に習熟・精通する) に近い機能にその軸足を置いているが、saber(単一の情報を得る)の機能までの広い範囲をカバーしているのが日本語の「知る」である。

 

こうした要因もあって、「知っている-知っていない」の対応を壊し「知っている-知らない」の対応を構築し、自ずと状態表現も表せる「知らない」のほうが「知っていない」よりも語感的に安定した印象を持たれるようになった、と考えられる。

 

まったく「知る」という動詞は、一筋縄ではいかない、手ごわい動詞である。同時に日本語の秘密がぎっしり詰まった、まことに魅惑的な語である。もし「知る」という秘密の箱の中を覗けるようになれば、日本語は新たな姿を見せることになるだろう。

 

最後に、本考察で得た、日本語の動詞「知る」の性格を以下に掲げておく。

1・「知る」は、知覚作用の動詞であり、「知っている」で「情報を得た結果の状態」を示す。

2・「知らない」は「知っていない」の持つ「状態性」を包含する動詞形態である。

3・「知らない」は恒常的・非恒常的な状態の両方に使えるが、「知っていない」は恒常的な状態の場合には使えない

4・「知っていない」は客観的な観察からの表現に向いているが、「知らない」は主観・客観の両面からの視点で言える。

5・「知る」には「単一の情報を得る」意味範囲と「複合体としての情報全体に習熟・精通する」の意味範囲がある。

6・「知る」の語の本質は「領(し)る」(占有する。すっかり自分のものにする)である。


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