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(*写真:スペインではバレンタインデーは、日本ほどチョコレート一色ではない。スイーツ店のキャンペーンも控えめだ)
日本語のエッセンス(6)【開く・開ける】【焼く・焼ける】はなぜ自動詞・他動詞が逆なのか
日本の電車に乗っていると、
・ドア【が】【開(あ)き】ますのでご注意願います。
というアナウンスが車内に流される。こういう場合は【自】動詞「開く」の専売特許だ。
「私が開けるんじゃないですよ。いや、誰が開けるんでもないです。ドアが開くんです。もし体のどこかが挟まれても、私や誰かのせいじゃないですよ。だから、くれぐれも気をつけてくださいね」
意地悪く聞くと、こんなふうにも受け取れる。
これとは、逆のケースもある。
見習い板前と料理長の厨房でのやりとり。
店員・すみません、魚【が】【焼け】すぎました。
店主・魚が焼けすぎた?魚が好き好んで自分から焼けすぎるものか。
店員・すみません・・・魚【を】【焼き】すぎてしまいました。
この場合は【他】動詞「焼く」を使って「魚が焦げた責任が自分にある」ことを明確に表現しなければ、見習い板前は料理長のご機嫌をますます損なうことになる。
一般的には、英文法で言う直接目的語、つまり客体を指す「を」をとれば他動詞、とらなければ自動詞、とされる。概ねこれで区別できるが、例外は勿論ある。移動範囲や離脱を表す「を」をとる動詞は自動詞だ。例えば「道を歩く」「席を離れる」の「歩く」「離れる」は自動詞である。
では、自動詞・他動詞を動詞の形から見分けることはできるのだろうか?
一つの形で自他両方の働きを持つ動詞も多く、動詞の見かけ上の形だけで自他を完全に区別するのはまず不可能に近い。
じつは、動詞の形から自他を見分けるヒントがないわけではない。動詞の中には見かけ上の形がペアで自他を形成しているものが結構ある。その例が、冒頭のエピソードで登場した「開く」や「焼く」である。これらの対(つい)になっている動詞をつぶさに調べてみたら何か分かるかも知れない。
「開く」「焼く」を「自動詞・他動詞」の順にそれぞれ示すと
「開く・開ける」「焼ける・焼く」
となる。
ここで、この二つの動詞の語尾だけ示すとそれぞれ
「-く・-ける」「-ける・-く」
となる。
つまり、自動詞・他動詞が対になっている有対(ゆうつい)動詞の例として「開く・開ける」= 「自動詞・他動詞」の順(「ドアが開く」「ドアを開ける」)であるのに対して、「焼く・焼ける」= 「他動詞・自動詞」の順 (「魚を焼く」「魚が焼ける」)となるのである。もうお分かりのように、「開く」と「焼く」は見かけ上の形が「自他逆」になっている。この点に注目して、自動詞・他動詞の話を進めていきたい。
「自動詞・他動詞」がペアの形を持つ「有対(ゆうつい)動詞」は、大きく次の4つ分けられる
(1)【他】動詞が「-す(せる)」の型: 例「合う・合わす」「似る・似 せる」など
(2)【自】動詞が「-aる」の型:例「上がる・上げる」「預かる・預ける」など
(3)【自】動詞が「-れる」の型:例「生まれる・生む」「売れる・売る」など
(4)【他】動詞が「-eる」の型:「開(あ)く・開ける」「続く・続ける」など
ところが、この4分類に収まらない例外がある。
(4)の「-X・-eる」の型の中に自他が逆になって「-eる・-X」の順になるペアが幾つか見出されるのだ。それが冒頭の見習い板前の話に出てくる「焼ける・焼く」である。これらは全て「-ける・-く」の形に限られる。
この型を持つ有対動詞は、私は採録総語数約58,600語の『岩波国語辞典 第三版』をつぶさに当たったところ、次の16組を拾い上げることができた。
これらの動詞を「自動詞・他動詞」の順にすると、全て「-ける(げる)・-く(ぐ)」の型になる。
「欠ける・欠く」「砕ける・砕く」「裂ける・裂く」「削(そ)げる・削ぐ」「焚(た)ける・焚く」「解ける・解く」「砥(と)げる・砥ぐ」「抜ける・抜く」「脱げる・脱ぐ」「剥(は)げる・剥ぐ」「弾ける・弾く」「引ける・引く」「ほどける・ほどく」「剥(む)ける・剥く」「もげる・もぐ」「焼ける・焼く」
これらの型、すなわち、同じ「-く・-ける」の型で、「開く」などの多くの一般的な動詞と自動詞・他動詞の順序が逆になっている「焼く」などのグループの語を観ると、じつは共通して「対象を欠損させる」意味を持っている。
「焼く」を例にして、どのような変遷を経て今日の型になったか、見てみよう。
古語「焼く」は、四段活用で他動詞、下二段活用で自動詞の機能をそれぞれ受け持った。やがて四段活用は五段活用「焼く」に、下二弾活用は下一段活用「焼ける」となった。
日本語の動詞の活用は、まず四段活用から誕生したとされる。そうすると、「焼く」という他動詞が自動詞より先んじて誕生したことになる。
日本では古来、物事の生起は、人間の行為よりも神々の意思や自然の摂理によって起こるものと信じられてきた。したがって、動詞においても、まず、自ずから動く「自動詞」として誕生するのが常である。この点が日本語の「自動詞・他動詞の関係」の特徴であろう。英文法ではまずTransitive verb(他動詞)があって、それをもとにIntransitive verb(自動詞)という用語が存在する。
しかし、この「欠損」の意味を帯びた「焼く」の型の動詞は「他動詞」から誕生したことになる。これはなぜか。
「続く」「開(あ)く」のような一般的な動詞は、人間を超えた力、すなわち神が司(つかさど)る「自然」によって起こされるものと見なされ、まず四段活用の「自動詞」として誕生した。
一方、古来「欠損」という現象は神々の意思や自然の摂理がなすものではなく、人間の行為によってなされるものと考えられたのではなかろうか。
神々がこの世界を完全なものとして創造したにも関わらず、人間の行為によってそれらの創造物が欠け損じると考え、これらの「欠損」動詞を、まず四段活用の「他動詞」として誕生させたのか。
こうして日本語が誕生した頃の、日本の先人たちの「人間を超えたものへの畏怖」に思いを致せば、たかが「動詞」の有り様が、なんとも神秘的、神々しささえも帯びてくるではないか。
☟
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*上記論考をダウンロードする際のパスワード
⇒ jkp253
(*引用及び参考にされる方は本サイトを通じてご一報ください)



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