2017/07
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<連載>人生を3倍楽しむ方法(30)私以外私じゃない



<連載>人生3倍楽しむ方法(30)私以外私じゃない

 

マイナンバー」という自己存在証明書の類(たぐ)いのものが、日本でも始まると言う。

海外では先進国を中心としてこうした類いのカード、いわゆるIDカードは既に普及している国が多い。

 

私もスペインのIDカードを外出の際は常に携帯していて、さまざまな手続きに提示するが、要するに「私以外私じゃない」という「アイデンティティ」を証明するカードである。

 

ただ、日本国内のIDカードであるのに敢えてカタカナ語、外国語の「マイナンバー」と名付けるのは、日本在住の「存在証明」という点では自己矛盾する。この点は日本人の大多数は違和感がないらしい。アイデンティティという概念が日本人にはピンと来ないのかもしれない。

 

人間の幸福は属する共同体・集団に委ねられる、というのが日本人の基本的な幸福感だと言う。だから、人の意思は集団の「空気」を読んでいかに消すか、が日本人としての評価に繋がる。国際社会から観れば、失笑の対象になってしまう。


国際社会を主導している欧米先進国は「の自立」「の成熟」、すなわち、人としての自我主体性を持ち、それを成熟させていくのが、大人になっていくことだとしているのだから、自我を集団の中で消していくのが良いとする日本人のメンタリティは、理解できないだけでなく、そこに幼児性を見る、のである。

 

事実、日本人はともすれば集団主義に縛られ、人としての意思や感性を集団の意思や感性に従わせる傾向がある。あの戦争へ突き進んでいった一億の集団主義は、戦後の一億総懺悔(ざんげ)と同じ質のものであり、さらに現代の「空気を読め」(そのココロは「人の意思を抑えて集団の空気に従え」)という日本社会の風潮も、じつは同じ性格のものなのかもしれない。

 

国際社会では、「自我」あるいは「主体性」の欠如が日本人異質論を招き、その幼児性を指摘されることも珍しくない。そういう意味では、自己の存在証明とも言える「マイナンバー」制度が、日本社会の中でどのような性格を帯びていくのか、興味のあるところである。

 

日本人であるというアイデンティティを持つ私は、この「個の不在」に気づき、それは日本を出てから一層重い課題として背負わなければならなかった。

 

一度限りの自分の人生を充実した幸福感を抱けるものにしていくには、この「個の不在」の問題を自分なりに納得のいく姿にしていくことが不可欠であろう。

 

「個の不在」と、以前私は現代日本社会のイメージの特徴を指摘したことがある。

「個の不在」・・・この「個」を「共同体に在りながら、自己を自立へ、更には成熟した一個の人間へと促す自覚を持つ存在」と定義づけておく。

 

この「個」は個人における「自我」「主体性」と呼び変えると分かりやすいかも知れない。

 

現代日本社会には「個の不在」が顕著に感じられる。これは海外で生活したことにある人にとって、結構な違和感、ストレスとして自覚されてくる。

 

現代日本社会の特異性は、その縦社会的構造であることは否定できないだろう。

大人の社会のあらゆる集団に軍隊を思わせる縦社会がいまだに厳然と存在しているだけでなく、子供の社会にも先輩・後輩という日本語独特の縦社会言葉が存在するように、この得意なシステムは、ほとんど崩しようのない磐石さで、日本社会の屋台骨になっている。

 

この極端な縦社会システムは、一旦そこから離れて眺めると、まことに時代錯誤で滑稽なものだと分かるのだが、分かったからと言って、どうこうなるものではない。


何か違うな、と薄々感じていても、一昔前は、自分が生まれ育った眼前のこの社会で生きていくしかないのだから、そういう社会に合わせて生きるしか道はなかった。

 

日本人は「自我」とどう付き合ってきたのか?

日本の近代の夜明けの時期に、いわゆる西洋からやって来た「近代の自我」と孤独な格闘をしながら潰(つい)えた日本の代表的な二人の文学者がいた。森鴎外と夏目漱石である。

 

「舞姫」などで知られる鴎外は「諦念」を掲げ、この得体の知れない「自我」への対応の仕方を示した。言わば「自我」との直接対決を避ける知恵を提案したわけである。

これに対して、漱石は「自我」問題に真正面から対峙し、最後は討ち死にした形であった。

 

漱石は西洋的自我に果敢に挑み、それを小説やエッセイなどの膨大な量の「戦いの跡」

として我々に残してくれた。彼は、日本社会の集団主義の中での「自己消却」「自己不在」

の空気からの脱出を果敢に試み、そして最後は力尽きて倒れていった最初の日本人であった、と言えるだろう。

 

漱石は「個人主義」という言葉に注目し、彼なりの「個人主義」を模索した。

個人主義」(individualism)とは、国家・社会の権威に対して個人の意義と価値を重視しその権利と自由を尊重することを主張する立場や理論、を指すが、日本社会では集団に利さない個人の意思はすべて「利己主義」(egoism)に還元して処理されるのであるから、漱石の提唱する「個人主義」も冷ややかな受け止め方をされる運命にあった。

 

日本社会では、ついぞ「個の自立」つまり「自我」や「主体性」が何たるものかは理解されないまま現在に至り、集団主義に縛られ、その空気に従うことが生きる前提にさえなっている、のか。

 

現代日本社会のこうした「空気」が国際社会では極めて特異な社会風土として見られていることは、日本を出て生活することによって益々明白になって、私に問い続ける。


「お前の人生はお前自身の手に委ねられているか?」

と。




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tag : 人生 自我 主体性 個人主義 日本社会 集団主義 アイデンティティ マイナンバー

 
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