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<連載>サンティアゴ巡礼2014年独吟36句「29日目の句」
行く夏や
魚(うお)の目なくも
愁ひ旅
今日はスペイン北西のLa Faba に草鞋を脱ぐ。サンティアゴまで 160.8km。もうほとんど無いも同然だ。ハカから凡そ670km歩いて来たことになる。残りは6日間で歩ける距離だが、計算通りいけば、の話だ。
ここに至る道中で多くの知己を得た。国籍も様々で、楽しい、貴重な出逢いばかりだ。
巡礼者は20代―70代まで各世代に跨がっているが、年配者の歩きは若者たちを凌いでいる。
若者たちは若さを過信して、足へのダメージをあまり考えずに歩くが、年輩者は普段からペースを考えて歩く習慣ができている。
私はバルセロナで1か月ほど、毎日2~5時間ぐらい散歩し、この巡礼に備えたこともあって、今のところ、足に問題は起きていない。
一方、若き友人たちの多くは足に何らかの問題が生じている。
途中、一緒に歩いたイタリアの若い女性は、自分の傷んだ足を見つめて、ここで少し治療していかなければならない、とぼやいていた。
公平に見て、歩きについて言えば、年配者が若者たちを凌駕している、と言って良いだろう。年配者は「歩き」の経験が豊富だということか。
数年前に巡礼路の3分の1を歩いた際は、足の裏に魚の目があって豆もでき、痛い目にあったが、今回は、靴は一足潰したが、ここまで670kmも歩き通してきた足の裏とは思えないほど、まったく何の問題もなく、ツルンとして豆一つできず、きれいなままだったのには、自分でも大いに自信を得た。歩き方を知らずに会得したのだろう。
この日詠んだ句は、『奥の細道』元禄2年3月27日「千住旅立ち」の、千住で見送りの人々との別れの際に芭蕉が読んだ「行春や鳥啼(な)き魚の目は泪」の句を重ねて「行く夏や」と詠んだ。すっかり仲良くなった少年とその両親とは、また道中逢うことがあるだろうが、それでも、旅愁の想いにかられた。
今朝はまだ暗いうちにLa Fabaのアルベルゲを発ち、Cebreiro、Liñares、Hospital da Condesa、Alto do Poio、Fonfría、Viduedoを通り抜け、本日の宿泊地 Triacastelaのアルベルゲに到着した。
途中、まだ夜明けの薄暗い中、まず前回の巡礼のときに記念写真をとった橋のたもとの巡礼者像との再会を果たし、前回と同様に写真を撮ってもらおうと、人が通るのを待っているうちにアッという間に空がぼんやりと明るくなっていた。
その後順調にテンポ良く歩き、バルに入ってコーヒーを飲んだが、そのバルの若主人が面白い日本語のTシャツを着ていたので写真をパチリ。
今日の宿泊地Triacastelaのアルベルゲでリュックを下ろしたあと、近くのレストランで食事が運ばれるのを待っていると、両親と一緒に自転車で巡礼路を回っているという7歳の男の子と知り合った。すっかり気に入られて、私から離れたくなさそうだった。そう言えば、子供連れの家族3人が自転車で回っているのを何度か見たのを思い出した。少年にとって一生の良い想い出になるだろう。
サンティアゴまで残り135.4km。
前回の巡礼でのスナップ写真↓ この像に今回再会を果たした。
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