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バルセロナのサムライ「ガウディの遺言」(13:最終章)真相
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(*写真:サグラダ・ファミリア 2026年完成予定イメージ。2016年現在、真ん中の塔の建設が進められています)



バルセロナのサムライ「ガウディの遺言」(13:最終章)真相

 

「あの“茶封筒”の中身は何だったんだ? お前は“機密書類”としか言っていなかったが…」

ラミロがサグラダ・ファミリアの塔から転落死した悪夢のような夜から一週間経ったある朝、佐分利の探偵事務所が開いたばかりの10時過ぎ、私はあの黒光りしたデスクを挟んで、佐分利と向かい合っていた。デスクの上には、いつものように眠気覚ましのエスプレッソコーヒーの甘い香りが漂っている。

 

佐分利は左手の甲で目をこすりながら、右手で小さなコーヒーカップの取っ手をつまんでそっと揺すりながら言った。

「あの中には“ガウディの遺言”が入っていたらしい。ガウディが亡くなる前々日に近しい友人が書き留めておいたものだ。ガウディは自分が手掛けた建築作品について様々な“心残り”をそこに述べたと言う」

 

「それで?」私は、この男のいつもの、もったいぶり、に横槍を入れるようにして言った。

「それで、なんでラミロが自分の命を賭してまで灰にしなければならなかったんだ?」

「まあ、そう急かすなよ」佐分利は私の肩越しに見えるガタピシャの窓の方に細い目を遣りながら続けた。

 

「その“心残り”の一つとして、サグラダ・ファミリア生誕のファサードに配置される彫刻にも言及した。三つの門のうち、左側の聖ヨセフに捧げられた“望徳の門”には、一見奇異に感じられる彫刻があるだろう?」

 

私はすぐに「ああ、あれか」と分かった。「嬰児殺しの兵士とその足元に縋り付く母親」の像だ。右手に刀剣を持った兵士が左手で泣き叫ぶ赤ん坊を掴んで上から投げつけようとして振り上げている。兵士の足元にはすでにぐったりとなっている別の赤ん坊がいる。そして兵士に懇願しすがりつく母親の様子が描かれている。

 

「あの“嬰児殺し”の像には、メッセージが込められている。つまり、サグラダ・ファミリア建設の初期に起きた忌まわしい事件の真相を暗示している」佐分利の眉間に皺がより、その細い目は一層細くなった。

 

「五十五年前、当時の地元の有力な司教がサグラダ・ファミリアのある石工の妻を身ごもらせ、生まれた嬰児を密かに殺してサグラダ建設敷地内に埋めた。その司教がバルセロナ大司教に抜擢されようとした際、教会内部でもその醜聞が持ち上がってきたんだ。妻を寝取られた石工の復讐、そして自分の大司教への選出を妨げかねない醜聞を恐れたその司教は、嬰児殺しの罪を石工に被せて口を封じようとした。つまり、自殺か事故に見せかけて石工を亡き者にした、ってことだ」ここまで一気に喋って、佐分利は椅子から立ち上がり、私の後ろ側の窓際へ近づいて行った。相変わらず、用心深い男だ。窓の外に誰もいないことを確認したのだろう。

 

「そうか、その石工の孫娘が今回晒首(さらしくび)にされたアンヘラさんで、司教の子孫とペドロ、ラモン兄弟が何らかの関係を持っている、という…」こう私が言うと、背後の窓際から佐分利の声が、囁くように聞こえてきた。

「そう。さすがだね」そして、私の左側に廻って、続けた。

 

「ペドロとラモンはまさに司教の孫だ。あの醜聞が教会関係者の間で噂に上り、石工がサグラダの塔から転落死した事件との疑惑も持たれたことが致命傷となって、司教は大司教の候補から外された。その後の司教一家は不運も重なり、子孫も辛酸を舐めるなどの末路が待っていた。まあ、こんなわけで、司教の孫の代であるペドロとラモンまで、あの石工一家に対する逆恨みが続き、むしろその見当違いの恨みは増して来て、その結果が今回のような陰惨な事件につながった…」

 

「なるほど。だけど、ガウディがなぜそのことを後世に残す必要があったんだろう?」私が思わずつぶやくように言った。

 

ガウディは死ぬ間際まで教会内の一部の司教たちの品行の腐敗に心を痛めていた。そして、あの石工の死の真相が曖昧のままにされ、自分の命の結晶とも言えるサグラダ・ファミリア内で、不埒な歴史が繰り返されるのを恐れた。まるで自分の心が汚辱にまみれる末路を知りながら死んでいくことに、我慢できなかったんだろうね。それで自分が確認した真相を、つまりは“嬰児殺し”並びに“石工殺し”の真犯人を遺言に暗示的に示した」

 

「そういう自分の家系と因縁のある遺言を知ったペドロとラミロが、石工の孫娘を脅威に思い込んで惨殺したり、ガウディの秘密の隠し部屋にある“遺言”を消滅させるに至った、というわけか」私の先読みに苦笑いしたが、佐分利はすぐに真顔になった。

 

「遺言と言っても、書かれた内容はそれだけではないからね。ガウディ自身の作品についての貴重な構想、とりわけ、サグラダ・ファミリアの完成イメージが、何らかの形で示されていたはずだ。それが灰になり、永遠に知ることができなくなった。後世の我々にとっても、取り返しのつかない、無念極まりない結果だ。今はただ、断片的に残された資料を元に完成図を想像するしかないんだ」佐分利は語気を強めて、吐き捨てるように言った。

 

そして、コツコツと床板を鳴らしながら小さく歩き回り、思い直したように言葉をこう結んだ。

「まあ、いずれにせよ、こういう怨恨の絡まる事件は難しいね。すべて明らかにすることが、当事者や関係者にとって幸せにつながるとは限らないし、われわれにとってもね…」

 

このサムライと呼ばれる稀有な才能を持つ探偵は、深い溜息をそっとつき、私の脇を通り、またデスクの向こうの古びた肘掛け椅子に疲れた身体を預けるように、腰を下ろした。

 

私は、すっかり冷めてしまったエスプレッソの残りを喉に押し込み、ふと後ろの窓に目を遣った。窓の外では、クリスマスソングが遠くに聞こえ、道行く人々もコートの襟を立てて忙しそうに行き交う。そうか、バルセロナにも冬がやって来たらしい。        

(「ガウディの遺言」完)




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tag : バルセロナ サグラダファミリア ガウディ 2026年 完成予定

 
バルセロナのサムライ「ガウディの遺言」(12)失われた「秘密」

(*写真:サグラダ・ファミリアの尖塔から下をおそるおそる覗く)

バルセロナのサムライ「ガウディの遺言」(12)失われた「秘密」

 

サグラダ・ファミリアの鐘楼の塔の穴は、じつは鐘の音を教会の通りに向けるための下向きのひさしが付いている。この穴は、鐘楼で響く鐘の音を通りの人々に届けるための穴なのだ。その穴の一つから、今は雲から顔を出した月の明かりだけが妙に生々しい、濃紺の闇が広がっている。

 

ラミロの後を追って、螺旋(らせん)階段を駆け上って来て、その塔の穴へ上半身を入れた佐分利は、そのまま下半身もスルスルと闇に吸い込まれて行った。すでに息の上がっていた私は、声を挙げる間もなく、口だけ大きく開けて、倒れるように穴に駆け寄った。

 

私は、何が起こったか分からぬままに、今さっき佐分利が消えて行った穴から顔を出して、彼の姿を探した。彼が上方に消えて行った気配を頼りに、上を見た。目を凝らすと、尖塔の外壁に張り付いてうごめく人の姿があった。鈎(かぎ)梯子を使って塔によじ登っている佐分利の姿だった。

 

更に上方へ目を向けると、佐分利の上、およそ3メートル先に巨大な昆虫のような黒い影が見えた。その“影”は、見る見るうちに尖塔の先へ近づいて行く。その影へ向けて、佐分利は左手で鍵梯子の綱を握り、右手を上に振り抜けて何かを素早く投げつけた。礫(つぶて)だ。


上方から微かに「ムウ…」と短い呻き声がした。踏ん張っていた足首に命中したようだ。佐分利の礫投げの正確さは、誰よりも私が一番知っている。

 

その“影”の頭上には鐘楼の先端部分、ピナクル(小尖塔)が迫っている。採光のための穴が筒状に空いている。その穴に彼の投げた鈎梯子の一つが食い込んでいる。その上には朱色の「S」の字がくっきりと見える。この塔はイエスの十二使徒の一人であるシモンに捧げられたものだ。


生誕のファサードの向かって右から三本目の塔に、この二人は昆虫が樹皮を登っていくように這いつくばっているのである。

 

遠目からもそれと分かる、蹌踉(よろ)めく“影”に向かって佐分利が、

「その先はないぞ」と“影”に声を掛けた。

“影”は、

「分かってるさ」とやや掠(かす)れた声で吐き捨てた。

 

と、月の明かりを背に“影”が動いた。

「やめろ!」と佐分利が叫んだ。

「クックック…」風に吹かれた木の葉のように“影”が笑った。

その笑い声が途切れた、と同時に、“影”の手元で炎が昇った。

そして、炎に照らされたラミロの顔が濃紺の夜空の中で不気味に浮き上がった。

 

あのサグラダ・ファミリアの「機密文書」を燃やしたのか…。

そう気づいた私は危うく目眩(めまい)に、明かり取りの穴から出した上半身がフラつきそうになった。その時、佐分利が「おい!やめろ!」と再び悲痛な叫びを上げた。


すると、次の瞬間、炎が消えるのと同時に、ラミロの“影”は揺らりと崩れ、まるでスローモーション映画の数コマのようにゆっくりと尖塔から体を離し、頭を下にしながら漆黒の地上へと落ちていった。


その黒い塊は、最後に狼男が月に向かって放つ遠吠えのような長く尾を引く断末魔の声とともに、夜のバルセロナの奈落へと吸い込まれて行った。

 

これでガウディが残した唯一の秘密が永遠に失われた、と私は、急に冷え込んで来た夜風に顔を吹き上げられ、身震いした。




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tag : 小説 創作 バルセロナ サグラダファミリア ガウディ

 
バルセロナのサムライ「ガウディの遺言」(11)狼男より恐ろしい男
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(写真:サグラダ・ファミリア尖塔内部の螺旋階段。飲み込まれた龍の喉を駆け上がる気分になる)


バルセロナのサムライ「ガウディの遺言」(11)狼男より恐ろしい男

 

我々は生誕のファサードの四本の尖塔のうち、中央の二塔を繋ぐ橋のあるところまで階段を降りて行った。佐分利はこうした事態になった場合をすでに想定していたようだ。螺旋階段を数周廻り降り、夜風が吹き込む踊り場に着くと、すぐさま佐分利は躊躇なく橋へ出た。月はいつの間にか雲間に隠れていて、闇は深くなっていた。彼は腕時計に仕組んであったライトをその先へと照らした。そしてその光の束をゆっくりと隣の塔の入口へと移動させた。

 

すると、そこに黒い人影が浮かび上がり、我々の方を見ているではないか。佐分利はさらに光の束をその人物の顔に集中させた。…何ということだ。そこに能面のような青白い笑みを浮かべていたのは、ペドロだった。あのペドロ・フェルナンデス・ナカモトではないか。真剣を抜いての勝負で佐分利に破れ、今病院で治療しているはずのあのペドロ、…いや、そんな馬鹿な…。私の戸惑いを見透かしたかのように、佐分利はその人影に向かって口を開いた。

 

「ラミロ、…やはり、な」佐分利はちらっと横の私を見て、再び人影に向けた眼を針のように細めて言った。

 

「ラミロ・ファルナンデス・ナカモト、待っていたぞ」このサグラダ・ファミリアの尖塔を巻き込んでくる風にかき消されそうな静かな物言いだったが、妙にドスの効いた響きがあった。秋だというのに生暖かい風が我々を包んでは離れた。すると、尖塔の上に逡巡していた一固まりの雲が我に帰ったように流れ、隠れていた月が半分ほど顔を覗かせた。その人影の姿も鈍い月光にあぶり出されてきた。ペドロ、いや「ラミロ」なる男は左手に何やらぶら下げていた。さっきマリアが探していた茶封筒に違いない。

 

「ラミロ、その封筒は戻してもらおう」佐分利の言葉にラミロは能面のような顔を一瞬何かに怯えたように変えたが、すぐ元の青白い薄笑いに戻った。そして、「ふふふ」と不気味な声で笑った。生暖かい風が私の背筋に入り込んだ。

 

「よく俺が分かったな」甲高い声でラミロが佐分利に言い放った。

「調べたよ。お前がペドロの双子の兄だということもね」佐分利は微動だにせずに言った。

 

彼の腕時計仕込みの懐中電灯の光の束はラミロの顎あたりまで下がっていた。それを再び上げてラミロの顔全体をくっきりと浮き彫りにした。ラミロの能面顔はさらに血の気を引いた、ひび割れた石膏像のように薄笑いが張り付いていた。

 

「それに、何よりもその右耳の色素がラミロだということだ」佐分利が光の束をラミロの右耳を照らし出した。その耳殻の下半分がインクをこぼしたように黒紫色の色素に染まっていた。

 

月明かりだけでは陰になっていたラミロの左の耳たぶ付近の色素が、佐分利の照らした光で浮き彫りになった。光が揺れたとき、黒光りしたヒルがその首筋から耳穴に入っていくように見えた。ラミロが幼い時の病気で左耳が黒紫色に変色していたことを佐分利は知っていたのだ。

 

ラミロは半身の構えのまま佐分利を見据えるようにしていた。沈黙が青白い頬に流れ、時折吹く生暖かい風に髪をなびかせていた。いつの間にか佐分利の腕時計から放つ光の束がラミロの体からずれてきているな、と私が何となく思ったとき、私の視界の上左隅で、尖塔の上に浮かぶ雲が月を覆い始めていた。

 

と、その瞬間、ラミロの身体が消えた。それと同時に佐分利の上半身が激しく反った。佐分利のすぐ後ろの壁がガシャと鈍い音を立てた。私はすぐに手裏剣だと思った。佐分利から「黒ずくめの男」に襲われた際の話を聞いていたからだ。佐分利は、態勢を立て直しながら右手をラミロが消えた暗闇に思い切り振り込んだ。礫(つぶて)だ。その暗闇から風の音に紛れて「ウッ」という呻き声が漏れた。

 

この塔付近ではいつの間にか小さな旋(つむじ)風が吹き、我々の立っている橋でも足元で渦を巻き上げているように感じ始めていた。生暖かった風に幾条かの冷たい風が紛れ込んでいた。佐分利はなおも礫を矢継ぎ早に暗闇に放った。いつもながら、間近で見ていても人間業とは思えない早業だ。この間、ほんの数秒だった。

 

ラミロの消えた闇にすでに突入した佐分利に続いて私とマリアも続いた。隣の尖塔の中に入った我々はマリアのかざす懐中電灯を頼りに夢中で階段を駆け上って行った。少なくとも佐分利の投じた最初の礫は命中していたはずだ。佐分利が放った礫の威力は私が一番よく知っている。ラミロはもう逃れられない。

 

目が慣れてきて闇の中でもラミロが螺旋階段を駆け上がる姿を捉えることができた。すると、ラミロが踊り場で急に立ち止まり、こちらを見下ろしている。我々を迎え撃つのか。佐分利が立ち止まり、私とマリアも足を止めた。荒い呼吸音だけが先のすぼまった尖塔内に響き渡っていた。ラミロの手に茶封筒はなかった。畳んで懐のポケットにでも隠したのだろう。佐分利が螺旋階段の手摺り越しに左上のラミロに言い放った。

 

「もう逃げられないな」

その声の響きが終わるか終わらないかのうちに、ラミロは鐘楼の鐘を響かせるための穴の一つに飛びつき、スルスルと体を外へ摺り抜けた。塔から身を投げたのか。私は茫然と息を呑んでいたが、佐分利はすぐに踊り場まで駆け上がり、今さっきラミロが消えて行った穴に上半身を入れた。




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tag : 小説 ミステリー スペイン バルセロナ サグラダファミリア ガウディ

 
バルセロナのサムライ「ガウディの遺言」(10)月夜の先客
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バルセロナのサムライ「ガウディの遺言」(10)月夜の先客

 

さて、佐分利が「サグラダ・ファミリアに忍び込むぞ」と私に耳打ちした、その日の夜11時過ぎ、警備員の最終見回りが終わった頃、サグラダ・ファミリアの「生誕の門」を見上げている二人の男がいた。濃紺の夜空に突き刺さるように聳(そび)える“怪物”の触角、その横に輪郭の滲んだ月が場違いな明るさを振りまいている。秋も深まったというのに妙に生暖かい風が二人を包み込んで、私も何か背筋を舐められたような薄気味悪さを感じていた。

 

「狼男でも出てきそうな夜だな」堪らず私はおどけた調子で佐分利に囁いた。彼は細めた眼を生誕の門の入口の扉に移しながら、

「狼男より恐ろしい奴に会えるかも知れないぞ」と声を立てずに笑った。

 

私も無意識に佐分利の視線の先に目を遣ると、入口の扉がほんの僅か開いて、中から手招きする影が見えた。佐分利はすでに扉の方に歩き出していた。私も足早に扉に向かいながら、扉の陰の人物を見定めた。案の定、マリアだった。

 

マリアは我々を迎え入れると、人差し指を口に当て、悪戯っぽく目で合図した。電気は点けず、彼女は懐中電灯で我々を門の奥へと導いた。前もって佐分利と綿密な打ち合わせがされていたようだ。どうやら尖塔のほうへ行くらしい。エレベーターは使わず、螺旋階段を登り始めた。何回ぐらい螺旋を廻っただろうか。できるだけ足音も抑え、沈黙のまま階段を登っているうちに、何度目かの踊り場でマリアが立ち止まった。

 

佐分利とマリアはさすがに毎日剣道と忍術の稽古をしているだけあって少しも息の乱れはないが、私は自分でも分かるほど息が切れていた。不意にマリアがその踊り場の壁の前でしゃがみ込んだ。床と壁の下の僅かな隙間に何やら針金状の物を差し込んで、数秒の間カサカサと指先を動かして集中していた。作業が終わったらしく、彼女は立ち上がり、徐(おもむろ)に両手を壁に当ててゆっくりと押した。

 

すると、どうだろう。踊り場の壁の一面が動き、壁の中央を縦軸にして絡繰り壁のように僅かに回転したではないか。開いた僅かな壁の隙間を更に広げ、人ひとりが通れるほどに開けたところで、佐分利がマリアの肩に指先で合図した。まず彼が隙間に体を入れて、こちらを振り向き、軽く頷いてから向こうの闇に消えた。彼は腕時計に仕組んである懐中電灯を点けて、残る我々を迎え入れた。

 

やがてマリアが部屋の灯りを点けた。四畳半ほどの部屋には中央に大きなテーブルがあり、その周りには書棚が取り囲んでいた。

「驚いたね、こんな隠し部屋があるとは」私は思わず感嘆の溜め息をついた。

「サグラダ財団理事長のイニャキ・マルティネスさんしか知らない部屋よ」マリアは軽く片目を瞑って見せた。

 

「さて、マリア、例の見取り図を出してくれ」佐分利はあくまで冷静だった。彼とマリアの間では、すでに今晩ここで何が起ころうとしているのか全て分かっているようだ。佐分利が言っていた「狼男より恐ろしい奴」とは何者なのだろうか…。

 

我々はその部屋を出て、螺旋階段をさらに上に進んだ。マリアのかざす懐中電灯の灯りを頼りに我々三人は黙々と階段を上って行った。暗闇の中で足音だけが響き、奇妙な緊張感を共有していた。螺旋を何周か廻った所で、マリアが立ち止まった。ここで行き止まりだ。

 

そこには扉らしいものはなかった。また隠し扉があるのだろう。私はマリアの顔を覗き込んだ。彼女は今度は壁には目もくれず、躊躇(ちゅうちょ)なくしゃがみこんで床を手のひらで撫で回した。そのままの姿勢で少しずつ移動しながら這い回るように何かを探した。

 

懐中電灯を頼りにしばらく床を這っていたマリアが、動きを止めた。

「あった」そう小さく呟(つぶや)くと彼女は、指先で抑えたその床の部分を押して左右にスライスさせた。すると中から引手らしいものが出てきた。それを上に引っ張ると小さく床がめくれ上がり、人ひとりが入れるほどの入口が現れたではないか。まず佐分利が入り、暗闇の穴に続く梯子(はしご)を降りて行った。

 

マリアに続き私も梯子段を伝って暗闇の底に降り立った。窖(あなぐら)の低い天井にぶら下がった裸電球を点けると、古びた机と椅子がぽつんと置かれているほかは、一番奥の方に年季の入った金庫のようなものが黒光りしているのみであった。

 

マリアはその黒金庫に走り寄ってしゃがみ、中央のダイヤルを手元のメモ用紙を見ながら慎重に動かした。そして、金庫に耳を寄せ、微かにカチという音を聞いたようだ。ゆっくりと扉を開けると、中に大型の茶封筒が幾つか見えた。しかし、それらは乱雑に置かれていて、それを見た佐分利の顔が僅かに歪んだ。

 

「やられた…」マリアが佐分利を見上げた。どうやら先客がいたようだ。

 

我々はもう一度目当ての茶封筒を探したが、やはり見つからなかった。

「まだ、その辺にいるはずだ。急ぐぞ」佐分利は珍しく動揺していた。抑えたつもりの声が裏返っていた。彼はこの窖に入ってすぐ電球を触っていた。点ける前の電球が暖かかったに違いない。結果は予測していたが念のためマリアに確認させた、ということらしい。我々は全ての封筒を金庫に戻し、窖を出た。いよいよ「狼男より恐ろしい奴」とご対面か。私は軽く身震いした。それにしては風は妙に生暖かいのだ。

 


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tag : 小説 バルセロナ サグラダファミリア ガウディ 月夜

 
バルセロナのサムライ(9)因業の教会



バルセロナのサムライ(9)因業の教会

 

 翌朝、十時には私は佐分利の探偵事務所にいた。昨日の真剣を抜いたペドロとの勝負で受けた佐分利の肩の傷は、昨日のうちに病院で治療したが、幸い大事に至らなかった。今朝は、例によってこの探偵は何事もなかったように、涼しい顔をして古びた黒いデスクの前で電話応対していた。

 

「浮気調査だよ。こういうのも地道にこなしていかないと大きい依頼も来ないからね」

サムライは自嘲めいた笑みを浮かべながら受話器を置くとこう言って、デスクの前のソファに腰掛けていた私に片目をつぶって見せた。

 

「で、あの男、ペドロはアンヘラさん殺しを認めたのか?」私はせっかちに事件の話に持っていった。

「今朝早くからジェラード警部と電話で話したんだけど、あの男、ペドロは何も言ってないらしい。もっとも彼はあばら骨が二本折れていたから、本格的な取り調べはまだできないけどね。ま、たとえ黙秘しようと、彼を追い詰めるのは難しいことじゃない、とジェラード警部は言っていたし…」

 

ここまで言って、佐分利は急に椅子から立ち上がると窓際に近づき、薄いカーテン越しに外を見遣った。目は例のごとく、針のように細く鋭く光っていた。窓の外は鬱蒼と茂った雑木林が広がっている。

 

「気のせいか…」佐分利はしばらくそのまま雑木林の奥の方を見つめていたが、何かを吹っ切るように、今度は私の向かいのソファに深々と身体を沈めた。

 

「誰かいたのか?」私が彼の目を覗き込んで言うと、

「いや、気のせいだったようだ」とちょっと照れくさそうな目をして、話を続けた。

 

「問題は誰がペドロを利用したか、ということだ。五十五年前にサグラダ・ファミリアから落下死したセルヒオ・マルティネスさんの話、覚えているだろう。今回晒し首にされたアンヘラ・マルティネスさんのお爺さんだ。そのセルヒオさんをサグラダ・ファミリアから突き落とした犯人とアンヘラさん殺しの犯人は何らかの関係があると俺は睨んでいる」

 

佐分利がこれほど一気に確信に触れてくるとは、私も予想していなかった。

「じゃ、やっぱり、あのグループ、“ガウディを伝える会”のメンバー…」私は思わず掌で我が口を抑え込んだ。声が大きすぎた、と思ったからだ。どこで誰が聞き耳を立てているか知れたものではない。私の慌て振りに佐分利は声を殺して笑った。そして、ギョロリと目を剥くと、一段と低い声で吐いた。

「必ず追い詰めてやる」

 

「目星はついているのか?」私はさっそく水を向けた。

「そうさ、な」佐分利は勿体ぶるように眉をうごめかした。ソファから立ち上がり、ゆっくりとまた窓際まで近づきカーテンの隙間から外を見遣ってから、私を斜め見して再び口を開いた。

 

「マリアを潜り込ませた。彼女はあれでなかなか機転が利くしね。いろいろと情報を集めてくれるだろうさ」

「彼女ひとりじゃ危なくないか?」

「大丈夫。彼女はお前も知っているように優秀な「くの一」、女忍者でもあるし、いざとなったらホセもいる。ジョルディもすぐ駆けつけられるようにしてあるさ」

 

「俺にも何か手伝わせてくれよ。身体がなまってしょうがない」私が首を左右にひねって見せると、佐分利は例の細い眼を向けて私に近づき、耳元で囁いた。

「今夜、サグラダ・ファミリアに忍び込むぞ」

         *

サグラダ・ファミリアは、聖ヨセフ教会の会長ジョゼップ・マリア・ボカベジャがバルセロナ市にキリストの聖家族に捧げる贖罪教会を建設することを決心したことによって、1882319日に着工された。

 

最初の主任建築家デル・ビジャルはこの教会をネオゴシック様式で発案し、後任のアント二・ガウディは鐘楼を2倍の高さにして垂直性を強調し、外壁の控え壁、蜂の巣状の窓など、ゴシック様式を推し進めた。

 

教会の着工からわずか1年後の1883年に主任建築家を引き継いだアント二・ガウディは当時弱冠31歳だった。それから1926年までの43年間、主任建築家として指揮を執ったガウディは生涯をサグラダ・ファミリアの建設に捧げ、仕事場はもちろんのこと、晩年には自分の居室までも内部のアトリエに設けた。彼は主任就任後わずか数週間で教会の設計図をすっかり変更し、そのフォルムや構造だけでなく、建築意義までも変えてしまった。

 

独特の機知とオリジナリティに富んだ彼の着想と設計は人々をして「変人か天才か」あるいは「建築界のダンテ」と言わしめた。ガウディのこうした並外れた才能と情熱の対象となった聖家族贖罪教会は、その壮大な構想とあまりに長い建築期間に加え、建築に携わる内部の嫉妬や陰謀、あるいは、建設継続断念かと思われた幾度かの困難、それに伴うミステリアスな言い伝えや噂話が複雑に絡み合い、世界の建築史上、稀に見る魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)する舞台ともなっていったのである。

こうしてこの傑作建築物は稀代の天才の情念が覆う因業の教会となった。




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tag : 小説 サグラダファミリア ガウディ バルセロナ

 
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