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<連載>人生を3倍楽しむ方法(30)私以外私じゃない



<連載>人生3倍楽しむ方法(30)私以外私じゃない

 

マイナンバー」という自己存在証明書の類(たぐ)いのものが、日本でも始まると言う。

海外では先進国を中心としてこうした類いのカード、いわゆるIDカードは既に普及している国が多い。

 

私もスペインのIDカードを外出の際は常に携帯していて、さまざまな手続きに提示するが、要するに「私以外私じゃない」という「アイデンティティ」を証明するカードである。

 

ただ、日本国内のIDカードであるのに敢えてカタカナ語、外国語の「マイナンバー」と名付けるのは、日本在住の「存在証明」という点では自己矛盾する。この点は日本人の大多数は違和感がないらしい。アイデンティティという概念が日本人にはピンと来ないのかもしれない。

 

人間の幸福は属する共同体・集団に委ねられる、というのが日本人の基本的な幸福感だと言う。だから、人の意思は集団の「空気」を読んでいかに消すか、が日本人としての評価に繋がる。国際社会から観れば、失笑の対象になってしまう。


国際社会を主導している欧米先進国は「の自立」「の成熟」、すなわち、人としての自我主体性を持ち、それを成熟させていくのが、大人になっていくことだとしているのだから、自我を集団の中で消していくのが良いとする日本人のメンタリティは、理解できないだけでなく、そこに幼児性を見る、のである。

 

事実、日本人はともすれば集団主義に縛られ、人としての意思や感性を集団の意思や感性に従わせる傾向がある。あの戦争へ突き進んでいった一億の集団主義は、戦後の一億総懺悔(ざんげ)と同じ質のものであり、さらに現代の「空気を読め」(そのココロは「人の意思を抑えて集団の空気に従え」)という日本社会の風潮も、じつは同じ性格のものなのかもしれない。

 

国際社会では、「自我」あるいは「主体性」の欠如が日本人異質論を招き、その幼児性を指摘されることも珍しくない。そういう意味では、自己の存在証明とも言える「マイナンバー」制度が、日本社会の中でどのような性格を帯びていくのか、興味のあるところである。

 

日本人であるというアイデンティティを持つ私は、この「個の不在」に気づき、それは日本を出てから一層重い課題として背負わなければならなかった。

 

一度限りの自分の人生を充実した幸福感を抱けるものにしていくには、この「個の不在」の問題を自分なりに納得のいく姿にしていくことが不可欠であろう。

 

「個の不在」と、以前私は現代日本社会のイメージの特徴を指摘したことがある。

「個の不在」・・・この「個」を「共同体に在りながら、自己を自立へ、更には成熟した一個の人間へと促す自覚を持つ存在」と定義づけておく。

 

この「個」は個人における「自我」「主体性」と呼び変えると分かりやすいかも知れない。

 

現代日本社会には「個の不在」が顕著に感じられる。これは海外で生活したことにある人にとって、結構な違和感、ストレスとして自覚されてくる。

 

現代日本社会の特異性は、その縦社会的構造であることは否定できないだろう。

大人の社会のあらゆる集団に軍隊を思わせる縦社会がいまだに厳然と存在しているだけでなく、子供の社会にも先輩・後輩という日本語独特の縦社会言葉が存在するように、この得意なシステムは、ほとんど崩しようのない磐石さで、日本社会の屋台骨になっている。

 

この極端な縦社会システムは、一旦そこから離れて眺めると、まことに時代錯誤で滑稽なものだと分かるのだが、分かったからと言って、どうこうなるものではない。


何か違うな、と薄々感じていても、一昔前は、自分が生まれ育った眼前のこの社会で生きていくしかないのだから、そういう社会に合わせて生きるしか道はなかった。

 

日本人は「自我」とどう付き合ってきたのか?

日本の近代の夜明けの時期に、いわゆる西洋からやって来た「近代の自我」と孤独な格闘をしながら潰(つい)えた日本の代表的な二人の文学者がいた。森鴎外と夏目漱石である。

 

「舞姫」などで知られる鴎外は「諦念」を掲げ、この得体の知れない「自我」への対応の仕方を示した。言わば「自我」との直接対決を避ける知恵を提案したわけである。

これに対して、漱石は「自我」問題に真正面から対峙し、最後は討ち死にした形であった。

 

漱石は西洋的自我に果敢に挑み、それを小説やエッセイなどの膨大な量の「戦いの跡」

として我々に残してくれた。彼は、日本社会の集団主義の中での「自己消却」「自己不在」

の空気からの脱出を果敢に試み、そして最後は力尽きて倒れていった最初の日本人であった、と言えるだろう。

 

漱石は「個人主義」という言葉に注目し、彼なりの「個人主義」を模索した。

個人主義」(individualism)とは、国家・社会の権威に対して個人の意義と価値を重視しその権利と自由を尊重することを主張する立場や理論、を指すが、日本社会では集団に利さない個人の意思はすべて「利己主義」(egoism)に還元して処理されるのであるから、漱石の提唱する「個人主義」も冷ややかな受け止め方をされる運命にあった。

 

日本社会では、ついぞ「個の自立」つまり「自我」や「主体性」が何たるものかは理解されないまま現在に至り、集団主義に縛られ、その空気に従うことが生きる前提にさえなっている、のか。

 

現代日本社会のこうした「空気」が国際社会では極めて特異な社会風土として見られていることは、日本を出て生活することによって益々明白になって、私に問い続ける。


「お前の人生はお前自身の手に委ねられているか?」

と。




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tag : 人生 自我 主体性 個人主義 日本社会 集団主義 アイデンティティ マイナンバー

 
<連載>人生を3倍楽しむ方法(29)「バブル社会」を出る



<連載>人生3倍楽しむ方法(29)「バブル社会」を出る

 

どの社会で生きるかを考えたとき、その社会でどれだけ自分が活かされるか、が大切である。





もし、目の前の社会がその人にとって違和感を感じるのであれば、それはもう充分に、自分がもっと自然に生きられる他の社会を探す切っ掛けにして良いだろう。

 

1987年に私はスペインへの語学留学を考えた。少なくとも1年はスペインに滞在しなければ意味がない、といろいろ準備をしていた。当時私は高校教師をしていて、卒業学年の担任だった。翌1988年春、このクラスを卒業させ、すぐにスペインへ飛んだ。





まだ昭和という時代だった。この昭和があと少ししかないとは思ってもみなかったし、ましてやベルリンの壁が崩壊して世界が劇的に転換する日があんなに早く来るとも、頭をかすめもしなかった、のである。

 

当時の日本社会は未曾有の好景気で涌いていた。私の給料もどんどん上がり、若輩者が受け取る報酬としては、これでいいのか、と思うほど高賃金だった。





それにも増して、組合が強い時代で、ある年などは、教職員一律
7万円アップ、という、今から考えるととんでもない賃上げ要求を堂々と突きつけて気勢を揚げていた。

のちにこの好景気は「バブル経済」と呼ばれた。

 

このバブル景気ただ中にいた私は、金、金、かね、の狂想曲が流れていた日本社会に、おかしな世の中だ、ちょっと違うな、と感じ始めていた。





何となく、この社会は人間の幸せとは限りなく遠いところまで来ている、とも思った。そしてその違和感は、拝金主義が幅をきかせる社会とは違う社会を見てみたい、となり、最後は、日本を出よう、という結論に達した。

 


もちろん「バブル経済」はのちの時代の学者たちが分析してから定着した見方であって、当時の日本人の大部分は泡のような景気にまみれて狂想曲に浮かれていたが、私と同じような違和感を感じていた人も結構いたのではないかと思う。

 

こうした時代情況を背景にして、まずスペインマドリードに落ち着いた私は、生活者として初めて目の当たりにする異文化社会、マドリードの社会を、まるで日本の江戸町人文化時代のようだ、と感激し、すっかり惚れてしまった。

 

日本から20時間以上かけてたどり着いた異国で、初めて、人生とは楽しむためにある、ことを学んだのである。





人の幸福は拝金主義を謳歌するシステムの社会には育たない。そのことを強く感じたスペイン初生活の日々だった。




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tag : スペイン 人生 マドリード バブル経済 幸福

 
<連載>人生を3倍楽しむ方法(28)「世界のどの社会に生きるか」を選ぶ




<連載>人生3楽しむ方法
28)「世界のどの社会に生きるか」を選ぶ

 

人は誰でも幸せを目標に生きる。もちろん、幸せは人によって異なっていい。では、各々の幸せは何によって測れるのか。その答えの一つに「どういう社会に生きるか」という選択がある。自分に合った社会がどういう社会なのか、は誰も完全には説明できないだろう。

 

しかし、いろいろと探してみることはできる。アイデンティティ(自己同一性、平たく言うと、自分は何者なのか、ということ)がその所属する社会に大きな影響を受けることは、よく知られている。それは一歩日本を出ると「お前は何ものか?」と有形無形に問われる日々に出逢う事で、確認できる。

 

「自分のは日本である」「自分は日本人である」と答えて、ようやく相手は納得する。自分の存在は日本所属であることで証明される、ということを知って、日本人はアイデンティティとは何か、を朧(おぼろ)げながらイメージする。大抵の日本人にとって、日本内での日常生活では、ついぞ考えたことにない概念である。

 

では、「社会」とは何か。日本人が日常会話の中で「人は・・・」とか「人間は・・・」とか言う場合は、通常「日本人は・・・」という意味で言っている。同様に「社会は・・・」と言う場合は、通常「日本社会は・・・」であることを前提として、会話が成り立っていることを思い出せる。

 

私が日本人として、日本というに生まれたことは、偶然が重なった結果であることは自明である。私が選んだことではない。

ここまで考えてきて、初めに言及した、人の幸せに大きな影響を与える「社会」とは、取りも直さず、「自分が所属するの社会」であることに、気づく。

 

私が日本を出てスペインに居住して生活している根っこに、偶然に生まれた日本に一生住み続けることに対する疑問があった。そこに運命や宿命を思い込む必要は、もちろん、ない。

身体的にも精神的にも日本国を出ることは自由であり、自分の幸福を追求するために、自分に最も合った「社会」すなわち「国」はどこなのか、を探すことは、もっと普通に行われてしかるべきである、と考えたのである。

 

いろいろな事情で身体的には日本を出られなくても、様々な情報を得ることによって日本に居ながら、精神的には日本を出ることはできる。自分に最も合う社会を探すためである。

その結果、自分には日本社会がもっとも合う、という発見があれば、それが幸せになる大きな要素の発見であることに変わりはない。

 

誰でも幸せな人生を求める自由があり、人生楽しむためにある。

身体的、精神的、どちらでも良いが、日本を出ないという縛りを自ら解き放つ。ここから本当に人生を愉しむには、どんな考え方があるのか。それを探ってみたい。



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tag : スペイン バルセロナ 人生 楽しむ 社会 アイデンティティ

 
今日の言葉2014年6月1日(日)「幸福度の高い国には、自転車先進国が多い」

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今日の言葉
201461日(日)「幸福度の高い国には、自転車先進国が多い」

 

今日も地表の真ん中を我が物顔で走る自動車に遠慮して狭い歩道を歩く人間たち…私はこのクルマ社会に最近はかなり確信をもって「終止符が打たれる日もそう遠くない」、そしてクルマに対しては「なんという時代遅れな乗り物なのか」という思いを強くしている。

ここ数年、どこの国に居ても散歩を楽しむことが趣味になっていて、地べたを自分の二本の足で歩く歩行者の立場から人間社会を観るようになったせいもあるかもしれない。

 

クルマはもはや私にとって「両手でナイフを振り回しながら全速力で走り狂う」モノに思えてきたのである。考えてみれば、ナイフなんかよりも確実に人を殺せる凶器が歩行者のすぐ横を走り抜けているのだ。

 

私の抱く「次の社会」は地表を走るクルマは姿を消し、交通手段はすべて地下か空を移動する。地表は歩行者が取り戻す。そのためには地下路を整え、時代遅れのクルマは取り敢えず地下に走らせるとして、空路も抜本的に見直して、未来型ヘリコプターや未来型自家用飛行機がこれまでのクルマに取って変わらなければならない。

 

最近でも時々、その実験がニュースでも取り上げられる「人間ヘリコプター」や「空飛ぶクルマ・バイク」の実現は意外と早いかも知れない。

考えてみれば、最初に白黒テレビが現れ、それに色が付き、それが現代では3Dで飛び出して見えるようになって人々の度肝を抜いたのもつい最近だし、日本語のタイプライターの苦労を一掃するワープロが現れて、それを自在に駆使する人を「わープロだ」と言って驚いていたのも束の間、すぐに現在のパソコンが登場して、人間の科学進歩の速さには散々驚かされてきたのだから。

 

今は空想に過ぎないと笑っていることが、我々の想像を遥かに超えるスピードで社会は変わり、私が夢想するような「地表は歩行者が主役」の社会が来る日は、意外とすぐかもしれない、と思っている。

 

しかしながら、地表を走る凶器、すなわちクルマのない社会がいずれ来るにしても、それまでのツナギとして、なにか工夫のしようがないものか、と思案すれば、「そうだ、自転車があるではないか」と気づく。交通手段としての自転車の人間的小回りの良さを大いに活用して、歩行者が主役となる「次の社会」への移行措置をとるのが、もっとも現実的かも知れない。

 

さて、以前読んだコラムに「自転車先進国」という言葉が出てきて、しかもそれが「幸福度の高い国」とどうやら関係があるらしい。最近発表された「世界幸福度ランキング」に触れてコラム氏は「幸福度の高い国」の条件として幾つか挙げていたが、私はその中の次のような分析に注目した。

  

<デンマーク(幸福度1位)とオランダ(同4位)は、世界でも有数の自転車先進国として知られている。また、幸福度で上位に入っているその他の国々も、自転車に優しいことで有名だ。確かに、経済大国に登りつめた中国や、発展途上地域のほとんどでも自転車が主要な交通手段として使われているが、これらの国に住む人々は好きこのんで自転車に乗っているわけではない。>

 

つまり、自転車の利用環境が進んでいる国はその国に住む人々の幸福度も高い、但し、ただ自転車利用者が多ければ良いのではなく、

自動車利用の便利さと弊害を十分学習し認識した上で、個人の移動手段としての自転車利用に重点を置き、自転車と自動車・歩行者との棲み分けを積極的に進めて整備してきた国では人々はそこで生活することに高い幸福感を抱いている、

ということであろう。

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日本で教壇に立っていた時、大人の入り口に差しかかっている高校生たちに、「幸福」について話すことも度々あった。永遠に解けない問い「幸福とはなんぞや」に対して、それでも我々はある程度のヒントを見いだすことができるのではないか。社会の単位で幸福を考える場合、この「幸福度の高い国には、自転車先進国が多い」という視点は、良いヒントになるのではないだろうか。

 

最初に触れたコラム氏の記事は、国連の「持続可能な開発ソリューション・ネットワーク(SDSN)」の支援を受けて行われた調査「世界幸福度ランキング2013」について述べたものである。この調査は世界156カ国に住む人々の幸福度を国別のランキングにまとめたものだ。評価基準としては、富裕度、健康度、人生の選択における自由度、困ったときに頼れる人の有無、汚職に関するクリーン度や同じ国に住む人々の寛大さなどの要素が挙げられている。

 

この総合ランキングで、自転車先進国のデンマーク(幸福度1位)とオランダ(同4位)は先に挙げておいたが、その他の主な国のランクを見てみると、アメリカは17位(隣国メキシコは16位)、イギリスが22位、ロシアが68位のほか、中国93位、イラクは105位。内戦状態にあったシリアが148位、西アフリカ地域のベナンが155位、そして最下位の156位となったのは隣国のトーゴ。


因みに日本は
43位になっている。(毎日jpから)

 

さて、156カ国中43位という日本の幸福度位置をどう捉えたらいいのか。まあまあ妥当なところか。少なくとも、幸福というものが経済的豊かさだけでは測れないことは、誰でも見て取れるだろう。


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tag : 自転車先進国 幸福度 クルマ社会

 
今日の言葉 2014年5月7日(水)「太陽を見るとどうしてクシャミが出るのか」
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今日の言葉 20145月7日(水)「太陽を見るとどうしてクシャミが出るのか」

 

小学生のとき学校の図書館で「太陽を見るとどうしてクシャミが出るのか」というタイトルの背表紙を見て気になったが、その本を手にすることなくそのまま気の遠くなるほどの年月を経た。だが、このタイトルはその後、折に触れてふと思い出されていた。陽が照り風が爽やかな日に散歩に出た時など、眩しい光に鼻がむずむずし、それを解消するため必ずクシャミが出てしまう。

昨今では花粉症が流行っているが、私にはその兆候はないと思っている。私のこのクシャミの原因は太陽の光りに違いない。クシャミが出るたび、あのタイトルを思い出すが、家に戻るとそんなことはすっかり頭から離れ、とうとう今日までその謎を解き明かすことをしなかった

今回ようやく解明する気になって、いろいろ調べてみるとだいたい次のようなことが分かっている。。

 

これは、光刺激が誘因となり反射的にクシャミが出る現象のことで、「光くしゃみ反射」と呼ばれているそうだ。

全ての人に現れる症状ではなく 日本人では約25~30%の人に現れると言う。私はその少数派か。

そのメカニズムはこうだ。目から入った光刺激が三叉神経(目・鼻・顎に伸びている)に伝わるとき、脳幹が混信してしまい、「鼻がむずむずする」 と勘違いしてクシャミが起きるらしい。

いずれにしても、クシャミは鼻腔に入ってきた細菌ウィルスなどの異物が体内へ侵入するのを防いでくれるのだから、たとえ脳の勘違いでも、有り難く思わなければならないだろう。

 

ところで、スペインでもメキシコでもクシャミをすると周りの人は「健康を!」(salud)とか「イエス様!」(jesus)とか言ってくれる。言われた人は「ありがとう」と返すのが礼儀だ。とくにメキシコでは道を歩いている時でもクシャミをすると、聞こえた範囲で離れたところからでも通りがかりの人が声を掛けてくれる。二回すると二回声を掛けてくれるから、こちらも二回「ありがとう」と言わなければならない。親子の間でもこのやり取りを交わしていたから、彼らにとってクシャミを聞くと反射的に出る反応らしい。このクシャミへの人々の反応は、他のところでも書いたが、中世のヨーロッパに蔓延した黒死病ペストの初期症状が風邪に似ていたことから根付いた慣習だと言う。極東の島国日本にまでは影響しなかったようだが。

 

そう言えば、昔、同僚にクシャミを我慢していつも「ハック」までしか出さない人がいたが、

私はと言えば、地中海のそよ風に吹かれ、うららかな春の日差しを浴びて、今日も気持ち良く人目も憚らず「ハックショ~ン!」。


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tag : クシャミ 太陽 ペスト

 
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